ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(11)

2014-12-16 | 昭和40年代の鉄道(東海道線他)

新大阪始発のこだま形電車特急

昭和40年12月、新大阪駅で撮影したこだま形電車特急の写真。

39年の新幹線の開業後、こだま形電車特急151系は新大阪発着の山陽特急として運行されることになった。
これにより、名門列車であった"つばめ"、"はと"も新大阪・博多間の運行に変わった。
従前の大阪・宇野間の"うずしお"に加えて新大阪・宇野間に"ゆうなぎ"、新大阪・下関間の"しおじ"が新設された。

電車特急が名古屋を往来した黄金期はカメラを手にする前でも、この頃は新大阪まで行けば151系が撮影できた。
41年10月のダイヤ改正までに151系は出力増強対応の181系に改造され、純正の系統が余命僅かの頃である。

新大阪出発を待つ下り特急第1"しおじ"    赤色フィルターを付けた最後尾のクハ151ー1 




先頭車はパーラーカーと呼ばれた1等展望車 クロ151ー1




新幹線開業1年後の40年、"つばめ"、"はと"が481系交直両用電車に置換えられることになった。
これに伴い、151系を転用して新大阪・広島間の特急"しおかぜ"が登場した。
43年10月のダイヤ改正で従前の"しおじ"に統合されたが、"しおじ"は47年岡山新幹線開業後も存続した。

新大阪到着の上り特急第1"しおかぜ"



1965.12  新大阪駅


その後43年8月、大阪駅で撮影した181系に改造後のこだま形電車特急の写真。

大阪に入線する下り特急"うずしお" 先頭はクロハに改造されずに残されたクロ181(推定)


乗車風景 最後尾のクハ181



1968.8  大阪駅


歴史を紐解けば、昭和33年11月、ビジネス特急と謳われた"こだま"がデビューして、誰もが知る存在になった。
8両編成で、東京・大阪、神戸間各一往復、途中停車駅は横浜、名古屋、京都で東京・大阪間を6時間50分で結んだ。

35年、列車特急の"つばめ"、"はと"が電車化され、第1、第2"つばめ"となった。所要時間は6時間30分に短縮。
パーラーカーのクロ151が製造されて下り先頭車となり、全室食堂車サシ151を組込んだ豪華12両編成になる。

翌36年10月のダイヤ改正の特急大増発で、東海道線の電車特急も最盛期を迎えた。
東京・大阪間で第1、2"こだま"、第1、2"つばめ"に加え"はと"が復活、東京・宇野、神戸間で第1、第2"富士"を運行。
さらに東京・名古屋間の"おおとり"、大阪・宇野間の"うずしお"が新設され、当時は11両編成で運行された。
他にも157系による不定期特急第1、2"ひびき"が運行されていた。

38年、再び12両編成にして輸送力増強が図られたが、翌年の新幹線開業とともに電車特急は東海道から姿を消した。
花形電車の華やかなりし時代は、たった数年間のことである。

30年代後半の名古屋停車中の特急"富士"の写真が手元に残っていた。当時は小学生なので自分で撮ったものではない。
誰が撮ったのか分らないが、チャンピオンマーク(狭軌最高速度記録)のプレートを付けたクハ151である。


   30年代後半の名古屋駅


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