無知の知

ほたるぶくろの日記

正倉院御物 @上野 2

2019-11-06 08:09:15 | 日記
あの頃は、正倉院の宝物は殆ど奈良時代の輸入品、と考えられていました。しかし、その後の研究で、逆に殆どが日本で作られたものだと判明したとか。
驚きです。
なぜなら、私が正倉院御物に魅かれた理由は、あまりに「いわゆる和風」からはずれた「コスモポリタン」な御物だったからです。職人の方たちが大陸の技術を習得し作成した。あるいは大陸の職人の方たちがこちらで作成したか。材料が日本のものであると証明されたので、製作は日本で行われたのだろう、と推測できます。

あの異国風の文物、文様が日本で作成されたとは。もちろんお手本はあったと思うのですが、単に舶来品を大事に保管したのではなく、それを日本で再現しようとしていた。あるいは日本の技術、文化として定着させようとしていた、ということになります。


修学旅行など、京都、奈良が大概セットで計画されます。しかし、私はその両者の違いにひどく混乱させられました。もちろん古代から近世の日本では滋賀(近江)、大阪も含め、首都がその近辺を連続的に移動したわけですが、その間約千年以上。

文化の背景から、何から何までが変化しています。もう少し、丁寧な計画が望ましいですね。

京都は平安以降、いわゆる今日的「和風」の原点を生成してきた歴史をもつ都市。誰もが「和風」と感じる文化のベースを作ってきた都市です。

しかし、奈良はそれ以前、大和政権確立過程の都市です。しかも、そのときの「日本人」とは、ルーツ的にもいろいろな人がいたのかもしれません。紀元600年頃には何故か天皇家が仏教なども取り入れようとしていました。考えてみますと、これは非常に不思議なことです。自身の家系は天孫であり、神事を行う。それなのに、異国の宗教を取り入れようとしているのです。

仏教の輸入は自身の権威の基盤を破壊することにつながりかねない、とは考えなかったのでしょうか?

さらに「文化」をもとめ、中国を超えて、さらに西のペルシャ、ギリシャ、ローマの文物も取り入れようとしていました。その痕跡が「正倉院御物」に見て取れるのです。初めてじっくりと正倉院御物を拝見したとき、凄まじいまでのコスモポリタンぶりに、私は「日本」の概念をちょっと揺さぶられた感がありました。

現代の日本人は、その後鎖国を400年近く経て熟成した日本文化の中で生きています。その感覚からすると、正倉院御物はもう「外国」なのです。

過去にあった、名コピー
「ディスカバー ジャパン」 そのものでした。


さて、ここ何年か京都へは訪れておりますが、奈良は訪問の機会がありませんでした。今回は令和天皇御即位の記念として正倉院御物の特別展が開催されるとのこと。特に「螺鈿紫檀五弦琵琶」は興味深く、これまで拝見したことが無かったため、出かけることにしました。

綺麗に赤くなって早めの秋を演出していました。

連休中とあって上野駅は人で一杯。公園内も結構な人出。平成館前のハナミズキも色づいて秋の風情を醸し出しています。

そして肝心の展覧会は
入場まで50分待ち。
ああやっぱり。

季候が良いので何とかなりますが、この待ち行列は感心しません。何度も恐縮ですが、気候も天気も良いので何とかなってるわけですが、もう少し工夫が欲しいところです。

ただし待ち時間はほぼ予告通りの50分でした。内部もそこそこの混雑でしたが一通り拝見できました。お目当ての琵琶はやはり姿が美しく、細工の細部も材料も素晴らしいものでした。琵琶の音色も再現されたものが流されていましたが、良い工夫だと思いました。楽器ですからね。音を知りたいと思うのは自然な流れです。

書などはケースに入れて覗き込む形の展示でしたが、上部に写真を展示して頂くと、遠くからでも拝見できます。「どうしても現物」とは思わない私のような人間もいるかもしれません。検討して頂きたいと思います。

外に出ますと秋を告げる萩が。




赤い萩もあります。



台風の影響か、どの植物も葉の傷みが目につきました。今年は本当に大変な秋でした。本格的に寒くなる前に、暖かい環境が整備されると良いのですが。