無知の知

ほたるぶくろの日記

転機を感じる今日この頃

2018-12-23 19:06:32 | 日記

このところ、いろいろな場所、場面、分野、などなどで『転機』なんだなぁ、と感じることがあって、感慨深く思っています。

前回のそういうこと=『転機』を感じること、はいつだったか? と言われれば、思い当たるのはバブルの前後。明らかに人々の心理的様相とか、社会のあり方が変わりました。そのとき丁度私は欧州へ行っていた、ということもその変化を大きく感じることのできた一つの要因かと思います。

正確に言えば、欧州へ行く直前にバブルがはじけたのでした。しかし世間にはバブルの余韻が残っており、人々の顔はまだまだにやけていました。誰もそんなに状況を深刻には受け取っていなかったと思います。一年半後に一時帰国したのですが、そのときもまだバブルの余韻は残っていたように思います。思いのほか社会全般に浸透するまでに時間がかかったのでした。

そのころ欧州はいろいろな意味で経済的状況は悪く、皆さん質素に暮らしていました。久しぶりに日本に帰って、自分の格好がやたらにみすぼらしく見えたことにびっくり。日本では何でも無駄にピカピカすぎる、という印象を持ちました。ブランドモノのバッグやら何やらを持って闊歩している女子大生など、かなり奇異に映りました。欧州の大学生たちは皆ディバッグなど身の丈にあった身なりでしたから。

三年後にまた一時帰国した時、大分雰囲気が落ち着いたな、と思ったのを覚えています。それまで電車に乗ると、人々の顔が不自然に緩んで、何か全体に黒い霧のようなものが立ちこめているように思えたのですが、すっかりそのような気配が無くなっていました。日本人の律義な雰囲気が戻ってきていて、ほっとしたものです。そして皆真剣な表情をしていました。

この間の変化の経験は、世の中の雰囲気が変わること。そして人々の心理的様相が変わることは、感じることのできる何かなのだ、ということを私の心に刻み込みました。初めてこのような変化を強く意識的に知覚した、印象深い経験です。

 

そして最近、この感覚を久しぶりに味わっています。何かが、決定的に変わってきているのです。小さな変化の総体が大きな質的な変化を起こそうとしているような感じ。IT技術の発展、少子化、、そういうキーワードではない、何か。

例えばクリスマス。今年は非常に簡素な気がします。人々はあまりクリスマスに向けて準備をしている感じはありません。多少の何かは彩りとして生活に取り入れてはいますが。それよりも人々の意識はすでにお正月へ向いています。ナショナリスティックなものではなく、ごく自然にそうなっている。実際、一方で年賀状の衰退がある。おせち料理は既に作るものではなくなっています。

これらの動きをどう考えるべきなのでしょうか。昨年まで、バブルの頃に盛んだった様々な行事やスタイルが無理矢理維持されていました。それが今年は一切感じられなくなったのです。何かが終わった、としか表現のしようのない感覚です。

平成が終わる、ということでもないような気がします。非常に不思議な感覚でいます。もう少し、この感覚を味わいながら、この裏側にある事実を観察して行きたいと思っています。