無知の知

ほたるぶくろの日記

能動的あるいは意志的に生きる

2010-02-01 21:52:14 | 日記
日本について考え始めますと、やはり先の大戦と戦後のこと、そして明治維新のことに考えが行きます。最近はTV番組でもその辺りの時代をとりあげたものがつい眼についてしまいます。昨夕は録画してあった『母べい』を観ていまして、ますます戦争前後の日本について想いがとんでしまいました。自分の子供の頃、昭和の時代。たんに懐かしいというのではなく、そこから汲み取るべき様々のことが押し寄せてきて収集がつかなくなりました。

日本の「空気に流される」傾向についての丸山眞男さんの分析が心をえぐります。「ここで『現実』というものは常に作り出されつつあるもの或は作り出されいくものと考えられないで、作り出されてしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこからか起こって来たものと考えられていることである。『現実的』に行動するということは、だから、過去への繋縛の中に生きているということになる。」これはつまり、周りの空気に付和雷同し、流されて生きることともいえましょうか。

先日紹介した内田樹さんは、その性向を否定せず、むしろ徹底していくこと、辺境人として生きることに積極的な意味を見出そうとしておられる。それこそが私たち日本人がより日本人らしく生き、世界への貢献をなし得る方向になるのではないか、と提案されている。

確かにそれは一つの考え方であります。しかし、そういう日本の社会の中にあって、なお「和を保ち」ながら『現実』を作り出すべく、能動的に意志的に生きることは魅力的です。実際、そういう屹立した個性が過去の歴史にはきら星のごとく輝いています。それは日本においては難解であるからこそ、その個性はいっそうあざやかなものになるのではないでしょうか。