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破壊検査と非破壊検査、AIと解剖に関する雑感

酷評されているほど今期のドラマは酷くないと思うんだけど。全開ガールもなかなかだし。

さて今回初めて海堂尊のドラマ「アリアドネの弾丸」を見ているのだが、小説と異なるキャラクター設定に違和感を感じていたのだが、これはこれでいいのかなと思えるようになってきた。まぁ小説とドラマは違うと。また文庫化されていないので見てみようかと。
とはいえキャラクター設定にやはり違和感がある。海堂の小説はスピンアウト的な小説群をなしており、キャラクターの深掘りまでしている。一連の作品にはチームバチスタの栄光の登場人物が頻繁に出てくるし、主人公である田口耕平と白鳥圭輔のキャラ、高階病院長などサイドプレイヤーもも連綿としたキャラ設定している。ブラックペアン1988では高階院長の若かりし出来事を綴り、ジェネラルルージュの凱旋の速水はおろか螺鈿迷宮の院長まで出てくる。

なので小説と異なるキャラ設定は毎度毎度違和感を感じざるを得ない。

 

閑話休題

海堂が小説で主張してきたのは解剖での死因究明がなされていないことがテーマの深い根源にあると理解している。死因究明の第一義は解剖で、費用がかかるため解剖率は2%とのこと。だから死因が分からないという主張だ。解剖は費用がかかる、遺族が解剖を嫌う(この感覚は僕には理解できていない)、そのピンチヒッターがAI(Autopsy Imaging)というツールであると言う主張だ。

AIはCTやMRIでの非破壊検査で、解剖は破壊検査だと言うことだ。

ちなみに工業製品でも破壊検査と非破壊検査はあって、前者は母集団の品質レベルを想像するもの、後者は全数検査を前提としている。例えば食品の密封性を確認するために密着部を破壊して強度を調べるのが破壊検査、圧力を掛けてリークが無いことを確認するのが非破壊検査。破壊検査はいろんなことが分かるけれどもそれそのものは商品としては流通できない、しかし破壊検査で母集団の品質を担保しつつ、非破壊検査で補強すれば品質は上がる。

破壊検査はコストが掛かるのと、破壊してしまうとそれは商品ではなくなるので目的が異なる。クレーム品の調査などは破壊してしまうと破壊前の情報が壊れる可能性があるので、慎重な非破壊検査の後に破壊検査を行うこともある。再度述べるがAIはCTやMRIでの非破壊検査で、解剖は破壊検査だと言うことだ。

 

小説では情報インフレの懸念があり、AIで割りと何でも分かるような記述がある。だから解剖学者や法医学者が権益を守るという構図になっているが、本質は非破壊検査と破壊検査にあると思う。簡便な非破壊検査(AI)で問題や懸念が見つかれば破壊検査(解剖)に移行するということが海堂の主題だと思うのだが、十分に伝わっているのか疑問がある。

ドラマにいたっては「AIで何でも分かる」ということになっていて法医学者と喧嘩する騒ぎだ。まぁそういう対決シーンがないと観客を引き止められないのは分かる。

このやり方が業界に与える影響が大きいのは想像出来る、混乱もしているのではないか。まぁ医者は知能レベルが国民の上位0.1%程度の集団(てきとうな表現です)なのでなんとかしているのかしら。

 

もう一つ感じたこと。「遺族が解剖を嫌う」という感情が全然理解できない。まぁ葬式で死に顔に花を添える際に顔が継はぎだらけでは困ると言うことなのかしら。しかしそこで何で困るかが分からない。ご尊顔を見せなければ良い話だし。僕が喪主を勤めることを想像してもやっぱり分からない。僕の感情が希薄なのだろうか。

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