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お上は完璧

皮肉ではなく、国民の多くは国・役所が完璧だと思っているはずだ。そうでなければ役所の責任と思えないような事柄でも批判される理由が想像つかない。突っ込みどころは多いようではあるが、工業用米が食品に流れたのは米卸の犯罪であり、役所に監督責任があったというには無理がある。そのほかでも餃子問題、年金問題等役所が悪くないとは言わないまでも完全性を求められている。

一方役所の方でも「面子」を重視するところもあるみたいだ。間違いを素直に謝るという印象は全く無く、論理整合性というものを武器に自己の正当性を訴えるきらいがある。

両者ともに「お上は完璧」と思っている。だからちょっとした問題にも両者ともあたふたするのだ。

「お役所仕事」という言葉がある。辞書を引くと形式的で非効率な役所の仕事を非難していう語とある。これはつじつまを合わせること、責任の所在を明確にしないことで失敗の責任を曖昧にすることが理由だと考えられる。これも「お上は完璧」であることを求められているからであろう。

そのわりには庶民は税金を払っていない。私の場合で約8%程度か。控除は多いが年金・健康保険・組合費総額の方が圧倒的に多いのだ。所得を全部消費したと仮定しても消費税を合わせた税負担は11%。もっと税負担が少ない人も多いであろう。完璧さを求めるには税を払って居なさ過ぎるのだ。「完璧なお上」とは非常に高コストで官僚さんたちは深夜残業が多く、その手当ても少ないと聞く。医療・福祉・教育の現場は疲弊しているとも。

話が逸れた。ムラの相互監視があった時代とは違い、自由を謳歌している現代人は犯罪を行う自由もある。その自由の時代で国が犯罪をコントロールするのは困難になってきた。犯罪者には捕まったあかつきにはたっぷり損害賠償を請求するしか方法がないのであろう。アメリカが訴訟社会というがこれは自由に対するコストであろう。弁護士などという非生産的な職業人が高給を得るということは高コスト社会なのだ。シガラミを捨て自由になれば高コストを受け入れるのだ。またコスト=リスクでもある、自由は犯罪リスクが高いのだ**

ムラ社会の相互監視システムとは「お上」システムそのものであり、それを否定しつつ「お上」の完全性を求め、さらに税(コスト)を払う気がないというのはどうにも矛盾していると思うのだ。

例えば医薬化粧品業界では許認可性で個人で自由に販売することが事実上出来ない。それを許認可する役所、監視する役所があるのだ。さらにそういった関係役所と交渉する窓口として業界団体というやつがある。これらのコストは全部税金と商品の値段に反映されている。食品業界だって許認可は無いものの様々な団体があり、それでもしょっちゅう公正取引委員会から問題を指摘されたりしている。こういったシステムを全ての産業に適応させるのはとても現実的ではないと思うのだ。健康に直結する医薬化粧品食品業界はこのシステムでいいと思うが。この答えは大手メーカーの方が危険な商品を作る、添加物は危険だという妄想を抱く人を税金と業界で救っているのだ。それすら不必要だと言う議論には首を垂れるしかないが。

私は小さな政府主義者なので役所の過剰サービスは止めて欲しいと思っている。でもその線引き具合は非常に難しいので、まずは「役所に完璧を期待するのはやめようよ」と主張する。

税/(給与所得-控除)

**ムラ社会では相互監視システムが村八分を恐れ横車を非難される率や法を犯した際に捕まる率が高いと仮定している。犯罪は経済的に豊かであるかどうかの方が寄与度が高そうなので「昔は犯罪が少なかった」などと言う気は毛頭無い。

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