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医療トラブルは絶対に無くならない

飲酒運転の厳罰化は本当に為になるのかなぁ?かなり疑問。飲酒運転をさせないためにはシステム化を検討する、その1つが厳罰化なのは理解できるけど、そうではない方法もあるのではないか。飲酒運転の厳罰化は例えば二日酔いで捕まったら職場は首で懲役、こんな恐ろしいことを望んでいるのであろうか。それよりは賠償金の高額化、例えば物損であれば、賠償金額を被害金額の○倍を認めるとかでも、飲酒運転の撲滅は可能だと思う。ようは「飲酒運転をさせない」システム作りがキモであり、犯人を追い詰めることが目的で無いと思う。私なら二日酔いで人を引いてしまったら逃げる。被害者を助けても出頭しても会社を首になって家庭が崩壊することが自明であれば極小さい可能性でも逃げるほうが得だ、被害者が死のうが知ったこと無い。それよりは出頭した方が得であるシステムを構築した方がいいじゃないか。

2/22日経朝刊25面に「患者の目」というコラムがある。都立広尾病院事件の被害者遺族である永井氏がコラムを執筆している。これがどうにもダメなのだ。

抜粋は彼の主張をスポイルするだけでなく牽強付会になる可能性が高いのでここでは述べない。

しかし彼の主張では医療事故を解決するどころか蔓延するであろう、ようは医療事故を解決するためにはどのようなシステム作りが必要かと言う最も重要なことが抜け落ちているのだ。どんなに再発防止を願ってもなんの解決ももたらせないであろう。彼は医療の側が不誠実だと説く、しかし同時にクレーマーに言及していてそのクレーマーは医療側が創り出したような表現は、解決になんらかしらの意味があるのか。もちろんクレーマーで医療側が困っているのは無視だ。双方にインセンティブをもたらせるシステム作りと言う観点が無いのだ。彼は何故「システム」に言及しないのか。

彼は医療に倫理を問うている。ここに全ての間違いが集約されている。倫理は手続きのルールなどの上位に来ることが無い上、個人個人で厳密ではない。また医療の場合、倫理を持ち出すと大多数の患者の倫理の方がおかしいのは容易に想像が付く、倫理に不誠実な奴らの為にこちら(医療側)が倫理に誠実である必要は見出せない。彼は医療側に「ごまかさない」「隠さない」等を求めているが、それを倫理に訴えて解決すると思っているなら、、、。遺族は感情的になりがちであろうけれども、医療側が隠さなければ何でも解決するという主張には苦笑いというか、経験が生かされて無いのねと思ってしまう。

もう少し噛み砕いて「システム化」と言うことを説明しよう。

例えば、刑法は「××をしてはいけません」というだけでなく「それを犯した場合△年以下の懲役」になることを明記することでシステム化している、そしてそれでも犯罪は起きている。また独禁法など経済犯でも「犯罪が露見した時の課徴金」を定め、これだけではインセンティブが弱いので一番に申告した場合のペナルティ軽減を定めている。システムで犯罪を起こしたら損だというシステムを構築しても「捕まらなければ得」だという人間が後を絶たないという事実をご存知なのか。倫理に犯罪抑止を求めても意味が無い事は自明なのだ。なぜ医療にだけ倫理を求めて解決すると思っているのであろうか。

このように倫理に頼まなくても損得を考えれば皆が自然に守るようなルール(システム)作りが必要だということだ。彼は医療側にだけ倫理を求める。これがどれだけおかしいことかわかるのかしら。そして刑法犯がなくならないように、それでも医療トラブルはなくならない。そして彼の主張するユートピアは永遠に訪れない。

 

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