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理念が議論を妨げるという主張を疑ってみる

理念屋、例えば「反戦屋」とか「反原発屋」、「護憲屋」は冷静な議論ができないのでクズだと思う。結論が決まっているので議論が成立しないからだ。唯我独尊の象徴だということだ。マクロでもミクロでもとにかく『反対』で、落しどころもなさそう。

不謹慎であるが普天間移転においての辺野古問題に至ってはギャグとしか思えない。鳩山氏が卓袱台をひっくり返すまでは、辺野古移転でほぼ固まっていたと思え。尤も基地移転問題、ヘリコプタ更新問題は地元の意向かどうかよく分からない部分がある。それでも琉球新報が経済的に成り立っている辺りそういう気風があるのであろう。

 

この強い批判のうち、原発地元の「反原発屋」は尊重しなくてはならないと思うようになった。

不公平を内在する原発(1)~shinzorの日記

日本国の事故確率でいえば経済的にも安全面でも妥当だけど、原発を引き受けた地元にはそうでないということ。
原発を受け入れていない地方(首都圏・京阪神圏・名古屋圏等)に住む人にとっては原発事故の確率はゼロと看做すことが出来るけれど、 原発周辺住民にとればそれはリアルな脅威であり、現時点の補償の内容を見るととても受け入れられるものではない。

僕個人は放射線を甘く見積もっているので、原発事故による遺失利益が算定されて、補填されるのであれば移住とかあんまり文句は無いんだけれど、それがスムーズに行われているとは思えない。
僕個人は放射線を甘く見積もっているけど、まぁそういうことが嫌いな人もいるわけで、、、今後はまぁそういう人はその地に住まない方法を予め考えておけ、、って話なんだろう。 

 

マクロ経済で考えるのは難しい案件だという事。とはいえ、マニアは反対するより移住しろとも思うけど。

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