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10、20年前のときの未来予想

2023年のコンピュータとゲームはどうなっているのか~UEI shi3zの日記
 
に触発されて20年前と10年前の仕事におけるツールに対して考えてみる。ちなみにコンピューターを「コンピュータ」と表記する筆者に親近感を覚える。

無粋な話なんだけど20年前はフロッピーディスクが生きていた、容量1.44Mb。今からじゃ想像できないかもしれないけれどHDDの容量はかなり低くてFDDで各自管理という時代だった。ワープロという物がぎりぎり現役で、プレゼンソフトはLotus1-2-3で、OHPが幅を利かせてた。モノクロOHPの原紙は静電型コピーで出力可能だったけど、フルカラーは当時高価なカラープリンターで印刷されるものであり、失敗は1枚40円くらいであった。

Windows95以前はMS-DOSというOSで、GUI(ぐらっふぃっくゆーざーいんたーふぇいす)は無かった。すくなくとも実験機では。

当時マイクロソフトオフィスよりもロータスが幅を利かせていて、アドインなども無く、地道に計算式を打って統計をこなしていた。それでも当時は画期的で、関数電卓でシグマを計算するのが常識だった。僕は台紙をツール化して数値を打ち込めば統計処理が済んだみたいなフォーマットを作って誉められた覚えがある。

表計算ソフトが一般に流行する黎明期だという事だ。その後はMS-Officeが席捲してビジネスツールの最低限の作法になったことは否定できないであろう。

 

後にWindows2000がUSBというインターフェイスを画期的なものにした、12年前だ。それまで自前のデータはFDで持っていたのだが、ストレージとしてUSBメモリーが優遇されることになる。僕はそのころUSBメモリーを買わずにデジカメに対応できるSDカード端末を買った、3千円だった。32Mbのメモリーがいつまでも現役にはなれないのとうらはらに当時僕が買ったインターフェースはつい最近まで現役だった。どうも2GBを超えるとフリーズするらしい。でも簡便なのでつい最近まで重宝していた、端子がいっぱい付いたカードリーダーを有している後輩に貸す事も多かった。なにせ単純だし。

この頃以降から工場の設備や実験装置のOSにWindowsが搭載されてきた。当時僕は研究というか開発職だったのでその意味(メリット)は理解できていない、というか今も不明。印象としてサーボモータの普及と合致していることからWindowsのソフトでサーボモータの制御が簡単だったのかもしれない。

 

3次元CADは買えないけれど簡単なソフトは10万以下で買えるようになった。shadeとか。そのあとの3Dプリンタの熱狂振り(By 日刊工業)はおいておいても、エポックメイキングの可能性は感じる。僕も会社で予約したし(夏に予約したけどまだ着かない)。

 

で予想。

1980年代から2012年まで英ロック(音楽)で革新的なことは行われて居ないと思う。経済や技術の問題を除けばそんなに変わらないであろう。せいぜい老人が「あの頃はこんな技術革新があって」というのを無視されるかだ。僕の父親を見るに変わっているけど、本人に自覚がないし。

 

追記というか

アイルランドのロックスターU2はIRAのテロを題材に[War]を世に出した。1986年くらいの話、東西冷戦以外にもあるんだと青く理解したつもりになった。

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