ついに道隆が倒れた。伊周を関白にしようと躍起になるが、一条天皇は認めなかった。
一条天皇が道隆の言いなりであると参議たちが陰口を叩いているのを盗み聞きしたせいなのか、はたまた母の詮子の画策なのかはわからないが、若いだけでなく人望もなかったらしい伊周を自分の後の関白にして欲しいという道隆の末期の願いは聞きとどけられなかった。
その道隆の半狂乱ぶりはなかなかの名演だった。が、御簾を捲り上げて一条帝に迫るなんて、あそこまでする?
そんなに憎ったらしかったはずなのに、和歌一首にやられた。
百人一首にもある、有名な一首
忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな
を口ずさむ道隆。作者は儀同三司母。つまり道隆の妻の貴子だったのだ。
この歌に惚れた・・こんな歌を作れる人だから貴子がいいと思ったのだと言う道隆。
まるで蜻蛉日記や日記中の歌を誦じながら褒める兼家のイメージとダブル。
夫がどんなに傍若無人で、独裁者であろうが、自分の昔の作品を誦じていて、いまわのきわに褒められたら妻としてはたまらないだろうな。見ている私でさえ、全てを許してしまいそうだ。
ドラマは創作だけれど、本歌取るなどが行われていたことを考えると、平安時代の人たちは膨大な数の和歌を暗記していたはずである。そんな雅なやりとりができる人たちが羨ましいと思った。