

今日も快晴・・・なのに、ここ2~3日のようにやたら朝早く目覚めてはネットの書き込みと朝食を食べたら昼まで寝てしまい、何となく起きてボーっとテレビを見ては、2時過ぎに少し歩かなくてはと慌てて外出し、疲れて帰ってきてブログを書くこと以外何もできない・・・というパターンになってしまっているが、今日もそのパターン。
2時過ぎに慌てて飛び出して、市川駅のそのまた先にある市川考古博物館と歴史博物館に向かってタクシーを飛ばす。電車を2本乗り継いで、バスに乗って、最寄バス停から15分も歩かなければならないなら、ちょっと入館時間に間に合わないかもしれないと思ったのである。だが、思ったより高くついてしまった。
市川市に住んで10年になるが、私はむしろ江戸時代に塩作りで栄えた海の近い南部に住んでおり、市川市北部・・いわゆる律令制時代に下総国府だの国分寺・国分尼寺のおかれていただけでなく、貝塚等有史以前の遺跡も沢山ある場所には不案内。オケの練習等で「国分」とか「国府台」とかそれらしき地名を関する学校の講堂を使わせていただくことはよくあるが、結局それ以上踏み込めずに来ていたのである。
タクシーで現地に近づくにつれ、同じ市川市なのに、緑や畑の多さ、由緒正しそうな家の多さにびっくり。いいなぁここら辺の子供達は歴史にも自然にもふんだんに触れることができて。私なんか畠山重忠が戦死したぐらいしか歴史のない、山を切り開いたニュータウンに住んでいたから、周りは家ばっかりだったよ。



※歴史博物館の公式サイトはこちら。http://www.city.ichikawa.chiba.jp/net/kyouiku/rekisi/rekihaku/index.htm
ちょっと小規模な展示で、残念ながらお客さまもほとんどいなかった。ただ個人的には、子供の頃こういうところに来たかったな、と思った。というのは、子供の頃から社会科が好きだったから、図鑑や参考書をよく眺めていたわけど、写真やイラストでしか、昔の生活用具や農具などを知らないわけでしょ。たとえば昔脱穀の時に使ってた、カナゴキ(千歯コキ)という農具は、よくイラストで見て、アレを使って脱穀してみたい・・・なんて小さい頃思っていたけれど、実際に見てみるとずいぶんと小さいし、歯もそんなに多くない(20本×2列か)ということがわかったのが新しい発見。
歴史博物館を出て、上り坂を登っていったところにあるのが考古博物館(冒頭の写真)。
※市川考古博物館の公式サイトはこちら。http://www.city.ichikawa.chiba.jp/kokohaku/index.html
こちらの方がさすがに大きくて見ごたえがあった。土器の展示の完成度も高かったし、自分が住んでいるところの近くでこんな立派な土器が出たのかと思うと誇らしくもなる。ただ律令制時代が好きな私としては、つい国司の食事の復元写真に目が行ってしまったりする。米飯、鮎の塩焼、麦縄〔饂飩みたいなもの〕、鹿の膾、茄子と蕪の塩漬け・瓜の粕漬け、鴨とわけぎの汁、唐菓子・柿・栗・あけび・・・、今の私よりまともなもの食べておられたわけだなぁ(食べたいと思うようなものばっかりじゃない!)。国府の中心となる国庁(国司が政務を執ったところ)には下働きの人も含めて700人くらいの人が働いていたというから、結構大規模なのに驚いた。
一方庶民の食事はというと、粟粥、鮒の焼物、むかごと小蕪の汁、糟湯酒(酒粕を湯に解いたもの)だった。色んな庶民がいたと思うから一概に言えないけど、あまり貧しそうに見えないなぁ(あくまでもこれを毎日食べれたのならという仮定付だけど)。まぁ、今みたいに腹いっぱいは食べれなかったんでしょうよ。ただ私の目に引っかかったのは「酒粕」。酒粕っていうのは、食べようによっては牛肉並みのたんぱく質があるんだって? 音楽関係で私が尊敬している人が、最近酒粕を好んでお食べになっていることを知ってびっくりしたのだが、美味しいらしい。食べてみたいけど、それなりに酔うとのことなので、術後しばらくは無理だな。
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そういえば、正月に友人に誘われて来ようと思ったんだけど、体調不良で来そびれたんだったな。神宮というからには皇室関係。日本武尊東征の折り、当地に天照皇大神を祀ったのが始まりという。日本武尊が木更津に来たという伝説(直前に弟橘姫を失った)は知っていたけれど、船橋にも日本武尊伝説があったのか。


外環で買収されたあとの緑のフェンスばかりに
なっていたでしょう?
博物館に入る道の反対側(北国分駅側)は、10数年
前まではうっそうとした林が広がっていました。
井上ひさしの小説にそのあたりの描写が出てマス。