引き続き、毎週月曜日深夜の大人の人形劇平家物語を録画で見ている。
今は第五:無常(2)まで来た。毎回のように平家の武将が死んでいき、その武将を愛した女性が後を追って自殺する話が続く。壇ノ浦は間近に迫り、義経はどんどん頼朝に疎まれて日々悩んでいる。
大河ドラマ「光る君へ」を見た後にこの人形劇を見るととても不思議な感覚に囚われる。
平家物語に描かれているのは、光る君への150年後の世界。
光る君へと共通点もあれば、違うところもある。その微妙なバランスがなんとも言えず感慨深いのである。
例えば、平家物語で、重衡が死を目前にして琵琶を奏でるシーンがあった。
その音は、光る君へでまひろが開放弦をじゃららんと鳴らす琵琶の音と似通ってはいるが、時々フレットを押さえている感がある。そしてそこに琴と笛が加わると、えも言われぬ音楽になる。そうか琵琶は拍頭を担当しているのね。打楽器的でもあり、通奏低音的でもあり、それでいてメロディの一要素を構成している・・不思議な楽器だな・・琵琶は・・というふうに、光る君へで語り切れていない部分にまでイマジネーションが及ぶのである。
さて、今週見た「第五部 無常(1)紀伊の巨鯨」では、懐かしの田辺が出てきた。
そうだ、私も田辺にオペラ公演で行った帰りに、源氏につくか平家につくか闘鶏で決めたと伝わる地である闘鶏神社に行ってきたのだ。当ブログにも書いたことなので、久しぶりに読み返してみる。
▼鬪雞神社(とうけいじんじゃ)と弁慶
https://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/d70ec1c053a65155d5a50285aa1af31c
人形劇平家物語は吉川英治の新・平家物語を原作としている。私は子供の頃、平家物語を現代語訳にした子供向けの本を読んだが、田辺の闘鶏の話は載っていなかった。今ブログを読み返すと、それは義経記や神社に残された言い伝えに基づくものかもしれない。吉川英治の作品には、いろんな史料や研究成果が反映されるのが常であるから、平家物語にない話も色々入れ込んでいるのだと思う。
この人形劇平家物語に描かれた弁慶を見ると、改めて弁慶はその武勇だけでなく、諜報活動や調略に長けた参謀として、義経にはなくてはならない人であったと思うのである。