ある調査である。あなたは社会のストレスから解放されるニートになりたいですかという質問である。この回答の割合は予想がつく。たぶん、大方はニートがいやだというものだろう。ニートにはどうしても、落ちこぼれという印象が伴う。その通りで、この調査でも、いいえと答えた人が全体の8割であった。当然である。そして、その人たちの挙げた理由は「最初は自分の好きなことをやりたいと意気込んでも、すぐに飽きて、やることもなくなってしまうだろう。」「退屈で、死にそうになるだろう。」「どんどん、怠け者になりそうだ。」等々、枚挙の暇はないのだが、例に挙げた最後の怠け者というのは、本人がそう思わない限り、本人にとって、苦痛ではない。それに時間があるので、趣味でもなんでも、自分が好きで動き回るのなら、それはそれで、「金が稼げない。」という部分を除けば、社会に貢献することは可能だ。ただ、残念なのは、多くのニートが結局、自堕落な生活に陥ってしまう現実があるのである。さて、私が今回、この調査に注目したのは、このニートの人たちと定年を迎えて、家にいるようになったお父さんたちと一緒ではないかということだ。ニートの子供たちならば、親が「働け。」ということもできるが、お父さんたちはただ、家でごろごろしているだけである。問題は、老後資金が底をつきそうで、好きなこともできず、「退屈。」だけが心を悩ませていることである。(2016.2.8)
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