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リウマチでも一歩一歩ゆっくりでもいいんじゃない?アクテムラ再開。ビオラなりに感じたことを発信しています。

「1リットルの涙」

2005年12月07日 | 日記など

「1リットルの涙」珍しくドラマを見ない私も,欠かさずに見て
潤んでいまいながら見ています。

「何故病気は私を選んだの?・・・」この気持ちは、痛いほどに
同じ気持ちをしてきただけに、本人も家族もそう言う思いを
抱きながら戸惑い、葛藤しながらの闘病を余儀なくされている
のは、治らない病気を抱えた人は誰しも同じだろう・・・、特に
若い時の発病は。

主人公、亜也ちゃんのまじめすぎるくらいの頑張りがありながらも
それとは、うらはらに病気は、はがゆいほどに加速度を上げて
進んでしまう。
歩けなくなるから・・・と、学校内の階段でさえ何とか自力で歩こう
とする姿に、思わず、私も悪化した時期を重ね合わせてしまう。
車椅子を拒否して、すがるように激痛に耐えながら、歩いた
時期が・・・・私にも、あったから。

亜也ちゃんの大切な彼、遥斗の存在も、ドラマが進むにつれて
大きくなってきて、その優しい深い気持ちは、言葉にも態度にも
あちこちで、何度も見られるようになる。
いつもは元気な笑顔の影で、遥斗の前では、素直な気持ちになり、
心の叫びを吐き出す亜也ちゃん。
車椅子を押しながらも、その後ろで泣き崩れてしまった遥斗。

彼女は、身体の障害だけでなく、今回は、言葉さえも出しにくくなり
遥斗は、携帯では言葉が出にくくつらいだろうと、直接側へ行って
話しかけ、とうとう「スキ!・・だと思う、たぶん」とやっと言って
くれて、確かに見る側の私も気持ちが楽になれた。

けれど、障害や病気は確かに、苦痛であり、苦労であり、悲しいことも
失くすこともある、背負うものは大きすぎるのが悲しいけど現実。
こうしてドラマの二人のように、今の瞬間を一緒に笑い、悲しければ
一緒に泣けることで、気持ちの歩調が自然とそろっていけるのなら、
どんなことがあっても、つながっていて欲しいと思う。

予告を見ると、悲しい押しつぶされるような気持ちになりそうだけど、
それでも、祈るような気持ちで見てしまうだろう・・・。

コメント (2)
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