孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

何らかの問題を抱えていれば旅行に行っても片手落ちになり、帰れば現実問題に直面することになる。

2014年01月24日 | Weblog
日々生きるために、然るに日々仕事をして、然るに食って寝て糞をするための、然るに生きていくための生活自体に多くの自力を使って味わい満ち足りていればそれで十分なのですが、
ところがそれで満足できなければ他の事、然るに巷の趣味嗜好娯楽などに興じて自己満足したがります。

ところがドッコイ、その自己満足が終わればまた生きるための生活行動に戻りますから、然るに趣味嗜好娯楽は「一時だけ」の変化刺激&快感快楽の自己満足しただけで終わり直ぐに元の生活パターンに戻るわけです。

と言うことは先ほどの満ち足りていない何がしの問題を抱えているその生活&現実に逆戻りする事になりますから、またしてもその問題ある苦を味わい続けることになります。

然るに私の事例で言えば日々静寂にして暮らしている中にお客さんが来て一時は賑わうことがあっても、その客人が帰れば元の静寂に戻るのと同じなのです。
それでも元からして呑気楽チンの静寂な暮らしをしていますから何事も無く元に戻った事になります。

ちなみに皆さんが豪華な海外旅行に行って帰ってきても、然るに現実問題に直面すると思います。
しかもその旅行中でさえも何かと不足不満が出てきてその雰囲気を損なうこともあったことでしょう。

然るに何らかの問題を抱えている限りは旅行に行っても何か片手落ちした中途半端な味わいで満足しきれないことにもなり、帰ればその現実問題に直面することにもなるのです。

しかもそれが「死ぬ」まで繰り返し続くその現実に気付いていますか、

然るに私は家族と生活している中で(外食したり娯楽施設や旅行に行っても)「何で、どうしてそうなるの」と(欲張ったことが結果的に)違和感やストレスを持つことになりましたが、その家族から離れたことからしてその違和感やストレスを持つことが無くなりました。

然るに皆さんも自問自答して納得確信に至らなければ欲張り意識から卒業することには無理がありそうです。

誰もが<欲>を出すから神仏霊魂の世界や巷の精神世界や思想哲学真理や超能力霊力が必要になったのです。

2014年01月24日 | Weblog
生まれながらにして持っている欲を消すことは出来ませんが、その欲を出さなければ何ら問題にはなりません。
ところが欲を出すから、然るに神仏霊魂の世界や想念霊魂の世界や巷の思想哲学真理が必要になったとも言えるのです。
そして神懸り奇跡の超能力霊力に魅せられ、然るに人が集まるその必要もあったのです。

然るに「欲が原因」なのです。
その欲を出さなくするための様々な精神世界が先に書いた事柄なのですが、ところがドッコイそれら自体からして欲絡みだったからこそ尚更にヘンテコになったのです。

然るに巷の様々な精神世界は欲からして始まったとも言えるわけです。
またその中味が本物だったとしても然るに偽善から始まった事になるのです。

然るに「信じるか否か」「私が正しい」にもなるわけです。
だから「ミイラ取りがミイラになる」のも当たり前なのです。

となると元からしてそれら精神世界は必要なかったとも言えるのです。
然るに「絵に書いた餅」や「ぬかに釘」にもなり「無用の長物」にもなるのが当たり前だったのです。
それどころかこの世や人間関係がヘンテコになって闇意識の世界にもなったのです。

然るに基本があって基本が無かったのと同じになるのです。
然るに「有っても無くても」どうでもよかった事になってしまうのです。
然るにそんな精神世界に永年係わっても「どうにも」ならなかったのです。

だからあなた方が「どうにかなりたい」「どうにかしたい」のであれば、逆に「どうにでもなれ」「どうにでもしてくれ」とばかりにその成り行きに任せれば欲張らなくても済むのです。

然るに良くても悪くても「執着」しなければ、それで何とかなっていくのです。

そして「我が身が資本」ですから健康がまず先にあるべきことなのです。

ところが欲張ることからしてその健康が損なわれてきたのです。
然るに精神が病んでいたから健康を患う事になったのです。

然るにその精神が病まないためにも欲張らなければいいのです。

然るに「生き地獄」「死んだも同然」を味わう事になるのも欲張ったからです。

だからそこで己の意識が原因のその結果を味わい尽くせばそれを「持ち越さない」(執着しない)で済むわけです。

然るに過去も現在も未来も気にしないで「今を生きる」ことになるのです。