孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

巷の信仰宗教&精神世界は先人のパクリであり、しかも言うだけ聞くだけの無用の長物になります。

2014年01月06日 | Weblog
人のものを自分のもののようにすることを「パクリ」と言うそうですが、然るに先人の言葉を借りたりまた少し色づけしてもパクリ同然になると思います。
然るにその先人もそれ以前の先人の言葉を借りているわけですから、然るに皆がパクリになります。

ところで山田耕栄さんの「あるがまま」もパクリですが、それを「そのまま・このまま・あるがまま」とも(独自に?)説いています。
そして日本語の「イロハ&いろは」はイロから始まるから、それを色分けや色恋色欲やの欲望として、然るに昔の日本文化は色分け色恋から始まったように解説し、
そして「あいうえお」は「あい」から始まるから、それを「愛」として、これからの日本は「愛から始まる」ようになるとして完全真理を説いていました。

また漢字の「愛」の心の下に及ぶの足がついているが「恋」にはその足が付いていないから、然るに「愛は自由」だが「恋は不自由」と説いていました。

然るに「愛」と「自由」の重要性を説いていることになります。

そして世直し人救いが期待された釈迦やイエスも良い悪いで判断するその不完全意識&矛盾からして役割使命を果たせなかったから、それを「ミイラ取りがミイラになった」と語っていたのですが、
それも良い悪いで判断しない「完全真理」を説いていた(自惚れ)(私は正しい)からだと思いますが、
然るにその耕栄さんも(私に言わせれば)不完全意識&欲が出て、今はその「ミイラ取りがミイラになる」その寸前&途中だと思っています。

然るに世間に目立つようになるのも欲があるからですが、それが初心のままだと目立つことも無く水面下で必然ご縁に限られた人と親身に接し触れ合うままに静かにお役を果たし続けているのではと思っています。

また巷の不完全な精神世界のことを「言うだけ&聞くだけ」とも語りその実践の重要性を私たち仲間に説いていたのですが、然るに完全真理も実践できない「言うだけ&聞くだけ」の理想目的であることに気付き、そこで素朴に生きる「自己縮小」が説かれ始め、その後にファバラエネルギーのシールが販売されるようにもなりましたが、然るに期待されていたファバラシールが脱税法違反になり耕栄さんが逮捕されました。

そしてしきりに「裏切られた」と釈明し続ける結果にもなり、そこで私は耕栄さん離れ&ファバラ離れになりました。

然るに「愛」「自由」の実践もままならずに終わるその色恋欲目の「欲」が邪魔しているその事実を書くにいたりました。