過去と現在と比べてみて、過去のほうが良かった人や過去よりも現在のほうが良い人もいることでしょう…
ちなみに過去は非実在にして思い記憶の世界になりますから、現在の今が本物になります。
また一寸先は闇と言われ先々のことや理想目的の類なども非実在になります。
然るに今がどうなのか?…それで満足納得できているのか否かになります。
ちなみに私は過去の自己拡大で生きていた時よりも現在の自己縮小の実践でもって生きているほうが私には似合った生き方であり十分納得できています。
だから事の始まりから現在までの18年間以上続いています。
ちなみに過去では快適便利なスイッチポンと衣食住の贅沢三昧でもって仕事円満・家族円満・セックス円満で生活していましたが…
現在は孤独の自由でもって食って寝て糞をするだけのようなグーたら生活にして…人様に自慢できる特別なことはありません。
しいて言えば…省エネ生活に欠かせない風呂焚き用とダルマストーブ用の薪燃料を暇つぶしに納屋や庭先に三年分以上も山もりに積み上げていることくらいです。
…ちなみに夕暮れ時の集落の煙突から煙が出ている風景が相当以前から消えています…
また自然界の四季折々の情緒を一年中庭先で味わえるようにと創意工夫をした蚊帳付きのベランダがあります。
ちなみに巷の人為人工的な変化刺激・喜怒哀楽・人間関係などのストレスから離れていることからして日々精神安定ですから、その自然界の四季折々を味わっているだけで十分になりました。
ところで豊かな物質文化文明でもって生きている私たちですが…
しかしジャングルの奥地でもって生きている人たちや極限の地や極寒の地でもって生きている人や山岳地帯や草原地帯でもって何とか生きている人も大勢います。
すなわち生まれたからには何とか生きていけるのが人間です。
だから集合化・効率化の組織団体などに加わらなくても、孤独の自由にして自力と自信と創意工夫と精神力からして何とか生きていけるのです。
なのに己の欲や他力依存からして自らの自由を束縛制限支配されても良しとして不自由・不平等・不調和な形の中で生きていくことになっています。
そして欲からの不満とその満足の喜怒哀楽の繰り返しでもって生きていますから…何やら中途半端で納得しかねます。
すなわち<欲と不満>からして…総て事が始まっているのです…
なのに不満のない…幸せな生活を願っている…そんな矛盾があります。
なのにそれに気付いていない人が大勢います。
中には他力にして幸せを願っている精神未熟な人も大勢います。
また人為人工的な諸々でもって楽しく生きることが幸せに思い違いしている人も大勢います。
だから矛盾する喜怒哀楽が何やら幸せに思えている・錯覚勘違いしているのです。
然るに変化刺激でもって生きているのが幸せに思えているから、その変化刺激を突き詰める結果にもなり、現に高度な変化刺激を追い求め続けています。
何はともあれ…自分さえ良ければの個人意識を持っている人が大勢集まればその物質文化文明が発展するも自然界が危機的状況になっています。
ところが自分さえ良ければの孤独の自由でもって生きていれば自己責任と自己結果ですみますから、その分だけ人様を巻き込まないで平然と生きていけます。
しかも孤独の自由を味わっていれば不満も出てこなくなり結果的に欲張ることにもなりません。
…欲張れば自由が失せます…
然るに自由を得るのか、物質金銭や権威や権力を得るのか、その選択でもあります。
…世間に目立ちたがれば自由が失せます…
然るに自由無くして幸せはありません。
だから幸せになりたければ自由になることです。
なのに自由を捨て欲張るからには生涯幸せになれるはずはありませんから、当然ながら不自由・不平等・不調和の不幸せで人生が終わります。
ちなみに過去は非実在にして思い記憶の世界になりますから、現在の今が本物になります。
また一寸先は闇と言われ先々のことや理想目的の類なども非実在になります。
然るに今がどうなのか?…それで満足納得できているのか否かになります。
ちなみに私は過去の自己拡大で生きていた時よりも現在の自己縮小の実践でもって生きているほうが私には似合った生き方であり十分納得できています。
だから事の始まりから現在までの18年間以上続いています。
ちなみに過去では快適便利なスイッチポンと衣食住の贅沢三昧でもって仕事円満・家族円満・セックス円満で生活していましたが…
現在は孤独の自由でもって食って寝て糞をするだけのようなグーたら生活にして…人様に自慢できる特別なことはありません。
しいて言えば…省エネ生活に欠かせない風呂焚き用とダルマストーブ用の薪燃料を暇つぶしに納屋や庭先に三年分以上も山もりに積み上げていることくらいです。
…ちなみに夕暮れ時の集落の煙突から煙が出ている風景が相当以前から消えています…
また自然界の四季折々の情緒を一年中庭先で味わえるようにと創意工夫をした蚊帳付きのベランダがあります。
ちなみに巷の人為人工的な変化刺激・喜怒哀楽・人間関係などのストレスから離れていることからして日々精神安定ですから、その自然界の四季折々を味わっているだけで十分になりました。
ところで豊かな物質文化文明でもって生きている私たちですが…
しかしジャングルの奥地でもって生きている人たちや極限の地や極寒の地でもって生きている人や山岳地帯や草原地帯でもって何とか生きている人も大勢います。
すなわち生まれたからには何とか生きていけるのが人間です。
だから集合化・効率化の組織団体などに加わらなくても、孤独の自由にして自力と自信と創意工夫と精神力からして何とか生きていけるのです。
なのに己の欲や他力依存からして自らの自由を束縛制限支配されても良しとして不自由・不平等・不調和な形の中で生きていくことになっています。
そして欲からの不満とその満足の喜怒哀楽の繰り返しでもって生きていますから…何やら中途半端で納得しかねます。
すなわち<欲と不満>からして…総て事が始まっているのです…
なのに不満のない…幸せな生活を願っている…そんな矛盾があります。
なのにそれに気付いていない人が大勢います。
中には他力にして幸せを願っている精神未熟な人も大勢います。
また人為人工的な諸々でもって楽しく生きることが幸せに思い違いしている人も大勢います。
だから矛盾する喜怒哀楽が何やら幸せに思えている・錯覚勘違いしているのです。
然るに変化刺激でもって生きているのが幸せに思えているから、その変化刺激を突き詰める結果にもなり、現に高度な変化刺激を追い求め続けています。
何はともあれ…自分さえ良ければの個人意識を持っている人が大勢集まればその物質文化文明が発展するも自然界が危機的状況になっています。
ところが自分さえ良ければの孤独の自由でもって生きていれば自己責任と自己結果ですみますから、その分だけ人様を巻き込まないで平然と生きていけます。
しかも孤独の自由を味わっていれば不満も出てこなくなり結果的に欲張ることにもなりません。
…欲張れば自由が失せます…
然るに自由を得るのか、物質金銭や権威や権力を得るのか、その選択でもあります。
…世間に目立ちたがれば自由が失せます…
然るに自由無くして幸せはありません。
だから幸せになりたければ自由になることです。
なのに自由を捨て欲張るからには生涯幸せになれるはずはありませんから、当然ながら不自由・不平等・不調和の不幸せで人生が終わります。