孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

…死は終わりではなくて…一旦眠って目覚めれば…新たな始まりとなる。

2018年09月19日 | Weblog
皆さんの中で…親に褒めてもらいたい・認めてほしい・好かれたいとして頑張ったことはありませんか?

だから勉強に励んで親や学校の先生に褒めてもらいたい・好かれたい・頑張っていることを認めてほしい…等と思っていたことがありませんか?

ちなみに私の娘が反省を込めて言うには…お気に入りとなった念力の先生や完全真理の耕栄さんに気に入られようと熱心にアピールすることからしていつの間にやら思い込み妄信信者となったと反省しています。

然るに両親や学校の先生や講師や宗教家教祖先生方に気に入られようと頑張り欲張り見栄張り無理することになっているようですが、それでもいつしか相手の矛盾や偽善や違和感や不信感が出てくることからして次第に熱が冷めてくるようです。

しかもそんな敬い憧れたことではなくて…新たに自分を見つめ直して…その自分に見合ったことを無理なくすることに気が付くようです。

然るに熱が冷めてそれが精神の成長自力自信となるようです。

ところが洗脳されたが如くにいつまでもくっつき離れないでいる人は他力依存的で感性や自力自信が乏しいようです。

然るにこの世人間界の矛盾に気付くことで精神の成長となるのですが、
しかし自己拡大をやめて自己縮小となる実践となれば自分の都合が悪くなるから躊躇するのです。

だから私としては60歳となるまでは世間一般的に過ごして・いろいろと矛盾偽善を学んで・老後が進んでいくと同時にそれに見合った自己縮小の実践となるほうがあまり無理がなくて都合がいいようです。

しかし何度も書いているように…どうせこの先々で老後&自己縮小になるのなら…今のうちに実践して馴染んでいくほうが得なのです。
…捨てながら身軽気軽の楽になっていくのです…

ちなみに街中ニートや山奥ニートの若者がそのままに老後となれば頑張り欲張り見栄張り無理しないまま・無駄なくすんなりと此れまで慣れ親しんだのと同じような老後生活となるのです。
…始まりと終わりの差もなく…
当たり前の普段の生活が続くだけです。

そして死と闘わないで…死ぬ時が来たらあっさり死ねば…それだけ苦悩が軽減された死となるのです。

…死は終わりではなくて…宇宙で一旦眠って目覚めれば…新たな始まりとなるのです。

また拘り執着未練もない・思い残しのない…新たな始まりに適した生命体意識体となっていることでしょう…