孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

不満と欲とストレスから解放されることが優雅な老後・幸せとなります。

2018年09月04日 | Weblog
この世人間界はお互い様とおかげ様の関係で成り立っています。

然るに善悪優劣損得で判断した良い人や悪い人はいませんで誰も皆が公平です。

なのに善と悪・天使と悪魔・天国と地獄・幸せ不幸・資産家貧乏人などと区別差別する人は差別意識と矛盾意識を持った偽善者とも言えます。

ところがその矛盾意識差別意識を持って生まれているのが人間だから結果的にこの世人間界が矛盾偽善に満ちているのです。

だから金持ちも貧乏人も名誉名声や肩書を持つ人も英雄勇者も…苦と楽の喜怒哀楽でもって生きていくことになっているのです。

然るに見かけの姿形や役割が違っていても喜怒哀楽を味わいながら生きているは皆同じなのです。

ちなみに私は仕組まれたとはいえ…人間関係を含めた諸々の苦と楽の喜怒哀楽で生きていることに違和感がふと芽生え、また日々ストレスを抱えていることにも気付き、それらから解放されるために家族や世間と離れた過疎地暮らしになったのは間違いありません。

その過疎地でグーたらと暮らしているうちに…これで本当にいいのだろうか?…と自問自答しているうちに気付いたのが…完全真理で言うところのお互い様とおかげ様の関係でもって生きている事実に目覚めたのです。

然るに完全真理のおかげ様というよりも…自らがグーたら生きていたから気付けたのです。
…習うよりも慣れる…ことからして会得したのです。

そして寝て食って糞をしながらただ生きているだけでもOKと自信確信納得となったのです。

然るにその生きていることがお互い様おかげ様の関係になっているのです。

だから生きるための働きや衣食住の消費でもってすでに世のため人のために役立っていると言うことです。

なのにあえて世のため人のためとして活動することが個人意識を隠した偽善になるとして自覚認識となったのです。

しかも個人意識丸出しにして「自分の心身のために」家族や世間から離れた孤独の自由が正解だったとも自覚認識できました。
…この世人間関係の矛盾偽善から解放されたのです…

そして「不満と欲とストレス」が薄れ消えるほどに精神安定となり、その精神安定でもって暮らせることが優雅な老後・幸せなのだと気付き納得できたのです。

すなわち不満からして欲張らなければストレスにもならずに精神安定にして暮らせるのです。

そして家族や世間から見放される格好にもなる老後ほど精神安定の重要性が認識できました。

ちなみに若い時の寂しさ孤独感は巷の変化刺激でもって誤魔化すことができますが、歳負えばその変化刺激さえも騒がしく鬱陶しく邪魔くさく面倒くさくもなってくるのです。

しかも高齢者になるほどに行動力が衰えてきますから、楽しいことさえもくたびれるのです。
またそれを無理するほどに過労となり、そのしっぺ返しからしてとんでもないことにもなるのです。

然るに私は60歳あたりに方向性を修正するなりして精神安定でもって生きていくことをお勧めします。

すなわち自己拡大から自己縮小の実践になれば過去の生き様を後悔反省気付くことにもなり、
己の人生の表と裏を味わう結果となり、そして自己縮小の精神安定でもって生きることの真価価値に目覚めることにもなり、
その人生の表と裏をしっかりと味わうことが人間として生きていく役割使命だとも自覚認識できます。