孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「時は金なり」の自己拡大をやめて「時は命なり」の自己縮小でもって<金より命>の本物になれる。

2017年02月10日 | Weblog
人間は思い感情で生きているところが多いにありますから・・・
温情にも冷酷にもなります。

然るに温情でもって人助けをしていても、事が起きて感情が高まると人を殺傷することにもなります。

だから心静かにしているときは人情愛情が出てきますが、しかし時として感情が高まればぶっ殺したがる・やけくその破壊意識にもなります。

然るに自然界の中で人間ほど危険な動物はいません。
だから愚かな動物でもあるのです。

しかもその自覚が欠如していますから、いつなんどき危険なことやらかすか判ったものではありませんから、厄介で困ったものです。

然るに幼子を引っ叩いて気が収まらずにしてそれ以上の危険な虐待行為に至ることもあります。

すなわち一度高まった感情をコントロールすることは難しいのです。
しかも私は正しいが強いほど燃え上がり長く続きます。

だから感情を持っているからには精神力だの自制心だのと言うことは通用しなくなるのです。
だから巷では…チョットしたことが…何でそこまで!なるのか?…びっくり仰天する出来事が多くあります。
…自らの感情が如何なるものか素直に自問自答してみればどうでしょう…

何はともあれ…思い感情の矛盾と偽善とその危険性を自覚認識して常に冷静に対処できる習慣性を備えていなければなりません。

ちなみに私は成り行き任せが板に付いていることからして…大ごとにならずに済みました。

とにかく自分のためにも人様のためにも…静かに生きる・小さく生きる・自己縮小の実践が必要なのです。

そして…生きているからにはいつ死ぬかわかりません。

そこで「時は金なり」として集合化・合理化・能率や効率を求めることからして…時として生き馬の目をくりぬくが如くの所業や非情な仕打ちの数々が伴っている事実があります。

そんな哀れな意識・危険な意識の自己拡大でもって生きることをやめにして…
命ある時間を「時は命なり」としっかり見定め自覚して…心穏やかに生きる自己縮小の実践でもって…生きていることをしっかり味わいながらその「至福の時」を過ごすことになればいいのです。

ところが生きているだけでは面白くないとして…
至福の時ならぬ…趣味嗜好娯楽の時・思い感情の時間…邪で愚かな感情に火が付くことになる・危険に至る道筋の・道楽の時間を楽しんでいるのです。

とにかく…命ある時間を自己満足の自惚れ慢心で過ごしたり、不平不満から始まる不安心配や苛立ち焦り虚しさや恐れ怒りや憎しみ嫉妬の憎悪で過ごすよりも、
心穏やかに過ごしながら、その心の余裕からして自然界の諸々とゆっくり接し触れ合いながらそれを深く味わい楽しめばいいのです。

ちなみに私の場合は…高尚なことに無関心で苦手ですから…ただ食って寝て糞をしながらにして「生きている」ことを味わっているだけです。

…蛇足ながら・今日の出来事ですが…先月の半ばから電話機が故障していることにまったく気付かずにいて…仕事帰りに郵便物が溜まっていることが気になり、その郵便ポストを開けたら2月2日付けの私用の手紙があり、その内容が電話機の故障からして音信不通になっていることを知らせてくれる内容でした。
然るにその郵便をポストに入れたままにしてほっとけば電話機が故障していることに気付かない日がまだまだ続ていたかもしれません。
すなわち…私は電話機を使用することが殆どなく、気にする郵便も来ない生活をしている事実を紹介した次第です。

すなわち…気にすることがない生活は…心静かに穏やかに生きているということになるのです。

ところがそれが不満になると・何かと問題が起きて人を巻き込み己が巻き込まれることにもなるのです。

たったそれだけの簡単なことが…他力依存になったり・巷の何やらおかし気な人集め金集めの信仰宗教やスピリチュアルに頼ることにもなっているのです。

何はともあれ…自己満足し自惚れ慢心し有頂天になっているのも精神を酷使して負担ストレスになっているし、それが不平不満から始まる諸々の精神的苦悩となれば大きなストレスになっています。

すなわち生きているだけでも心と体にストレスを溜め込み酷使していることにもなるのです。

だから「時は金なり」の自己拡大をやめて「時は命なり」の自己縮小の実践でもって…ただ言うだけ聞くだけではない…本物の<金より命>の心精神意識になれるのです。