孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間の役割使命とは

2017年02月20日 | Weblog
食って寝て糞をしながらにして、今を生きている真価価値を十分に味わずにして、
生きているだけでは面白くないとして…余暇を暇つぶしにして、
この世に元からしてなかった人為人工的な諸々の文化芸術を含めた趣味嗜好娯楽や信仰宗教やスピリチュアル関係や善行奉仕や慈善活動に係わってまで、
その苦楽・喜怒哀楽や波乱万丈でもって生きていく人がいます。

然るに私の過去は後者の類に入りますが、
…現在は…食って寝て糞をしながらにしてただ生きているだけでいいじゃないのと…暇な時間を暇なままにして心静かに穏やかに生きています。

その人為人工的な変化刺激を味わずにして、また人間関係の喜怒哀楽もないことからして、その感情的な起伏波風もありません。

そんな穏やかな生活が長く続くほどに…尚のこと…巷の人為人工的な諸々に興味が失せて更に必要なくなったのは事実です。

だから私自身も…何でここまでになるのよと…予想だにしなかったから不思議なくらいです。

だからアレコレと欲しがらない・今のままのほうが楽ちんで快いのです。

然るに楽ちんにして衣食住に恵まれた地上の天国を味わっている心持でいます。

とは言っても…こればっかりは…事実にして味わっていない人には通用しないかもしれません。

そこで今思うに…過去の生き様は…世間一般の常識やその集合意識によって…幼子のころから洗脳され続けていたのは間違いありません。

ちなみに学校教育も洗脳の場だったのです。
せいぜい読み書きソロバン程度で十分です。

また新聞テレビや諸々の情報も洗脳の類なのです。

何たって…学校教育を受けていなくても…何とかしながら生きていくことができるからです。

またその…生きている…こと事態が精神の学びですから、その付加価値・価値観は真の学びの邪魔をして惑わすことにもなっているのです。

それでも時折その情報に意識が奪われ・翻弄し・思考錯誤したり葛藤したり執着になって…己の精神を乱すことにもなります。
然るに「知らぬが仏」となるのです。

だから生きていくことを主体にするのか、
その付加価値や価値観を深め求めるのか、
その選択で生き様がガラッと変わるのです。

ちなみに昔のように…食うこともままならず、安心して寝ることもままならず…その食うことや寝ることで精一杯の時代が長く続いていたのです。

ところが現在は何とか衣食住に恵まれています。

しかしそれ以上の贅沢を求めればキリもなく続くのです。

然るにそれが自己拡大なのです。

またそのためには学識知識や教養や儀礼作法や文化芸術や高尚な趣味嗜好娯楽をも極めて、その社交性や縁故関係を広め高めうまい具合に活用したり、また己の技能技術や資格を取得したりして、何かと競争に勝っていかなければなりません。

しかも上には上があるのですからキリがありません。

ところが自己縮小するといっぺんにしてそれらが必要なくなるのです。

しかも自己拡大と相反する自己縮小の裏表を味わうことで…この世人間界の矛盾偽善までが見通せ見極められるに至るのです。

然るに…このほうが人間にとって・人生にとって凄いことなのです。

そしてそれが矛盾も偽善もない真の精神世界にもつながるのです。

だから巷で言われている精神世界や信仰宗教や神仏霊魂の世界や超能力霊力のスピリチュアル関係のまやかし矛盾偽善までも明らかになるのです。

然るにこの世を牛耳る邪な闇意識の輩やその仲間の思う壺に入り・墓穴を掘り・自縛して・自分の首を自分で絞めていたことにも気付くのです。

そこで…己が己を救うためには…どうしても世間離れした生き方になっていくのも当然のことなのです。

然るにイケイケどんどんでもって進んでいくも、いつの日かその過ちに気付き省みて、今度は逆方向に歩んで元に戻ることで、自然と共に生きる人間本来の生き様の重要性が自覚認識できるようになるのです。

だから片道の一方通行の人生ではなくして、行き着くところで一度立ち止まり、そこで何か重要な忘れ物をしてることにふと気付き、そこで元来た道にUターンすることで、その忘れ物が何だっか気付くことにもなるのです。

然るに自己拡大と自己縮小の裏表を味わうことで…この世に生まれて初めて…人間本来の生き方に気付き戻れるのです。

となれば…此れまでの山あり谷ありの喜怒哀楽の生き様経験が無駄にならずにして、納得人生で終わることができるのです。

ちなみにフリーターやニートやホームレスやBライフ・サイレントテロなる形や引きこもりや不登校になっている人の中にも…このブログに関係なく…既にこの世人間界の矛盾偽善に気付き納得確信になり、今の生き様が此れしか無いとばかりの…水を得た魚の如く・鬼に金棒が如くの自信自力の精神力に至っている人もいることでしょう。

と言うことからしていえば…自己拡大と自己縮小の両面・矛盾を確り味わい、その矛盾のない事実でもって生きていくことが…人間としての役割使命ではないでしょうか。