人間には食欲や性欲や守り闘う防衛本能と闘争心があります。
そして良い悪い・善悪損得優劣で判断するところがあります。
またそれが感情面となると好き嫌いで判断します。
しかしその判断するのは己個人です。
だから己を中心にして・良い悪いで判断して・自分に都合が良いとこ取りすることからして・それが自分さえ良ければの個人意識となるのです。
また自分を中心にして判断することは…私は正しい…が前提になっています。
ちなみに自分に自信が無ければ…私は正しい…とはなりません。
そして人間には体力の違いがあり、それが強者弱者にもなっています。
そして体力の強いものが弱いものを押しのけて勝ち組になり、弱いものは負け組になっています。
また能力の違いからしても、能力の優れた者が勝ち組になり、劣る者が負け組になっています。
だから人間界には差別があって当然ですから、その差別をなくすることは絶対的に無理なのです。
なのにその差別を何とかしなければと立ち上がる者が出てきても、無理なものは無理なのです。
だから未だに差別があります。
そして強者がのさばり弱者が虐げられています。
また強者は自信があるだけに私は正しいと主張堅持したがりますが弱者は自信がないだけに引っ込んであまり出てきません。
またそれだけに弱者ほど世間の下積みになったり端っこに追いやられることにもなります。
ということは強者が世間に目立ち弱者が片隅で静かに生きることになります。
それでは強者が良いところを丸取りしているのか?となると…この世は矛盾に満ちていますから…そうとは限りません。
何故なら…強者ほど守り闘う意識も強くて常に精神的ストレスを背負い込み抱え込んでいるからです。
だから外見では張り切っていても内面では相当に乱れ疲れています。
しかも目先のことばかりに集中していますから内面的なことに全く気付いていない人も多いようです。
だから自己拡大の所業による世間のしっぺ返しが起きたり、その積み重ねによる裏返し・どんでん返しとなる有事に遭遇することにもなりやすいのです。
しかも自己拡大の所業からして体調が悪かったり痛いところがあったり精神的に苦悩していれば生きた心地がしません。
ところが弱者になって…逃げるが勝ち…になっていたなら、多くを持っていませんから、それらを守り闘うことも少なくて、その分だけ精神の乱れストレスが少なくてすみます。
然るに強者を選べば心身ともに疲れるが、弱者を選べば心身ともに健やかで穏やかに生きていけます。
ちなみに私の過去は前者でしたが、現在は後者を選んだことになっています。
そして過去のような自己拡大に二度と戻ることはないでしょう。
然るに…見える結果よりも、見えないところにある心精神意識の有り様・原因が一番重要だと気付き悟ったからです。
だから見える世界よりも見えない世界を意識した生き方になっています。
だから見せ掛けよりも本音で生きることにもなっています。
然るに善人ぶらないで自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって生きています。
またそれだけに孤独の自由を大いに味わい楽しんでいます。
然るに強者を選んでも弱者になっても、生きている限り何をやっても不完全で矛盾偽善なのですから、
だったら頑張らずに見栄張らずに欲張らずに我を張らずに素朴謙虚の省エネ楽ちんにしていきているほうが自然界にも人間界にもあまり迷惑をかけずに、自らが選んだ生き様にしてその納得人生で人間を終えることができます。
然るに…終わり良ければすべて良し…となるのです。
そして良い悪い・善悪損得優劣で判断するところがあります。
またそれが感情面となると好き嫌いで判断します。
しかしその判断するのは己個人です。
だから己を中心にして・良い悪いで判断して・自分に都合が良いとこ取りすることからして・それが自分さえ良ければの個人意識となるのです。
また自分を中心にして判断することは…私は正しい…が前提になっています。
ちなみに自分に自信が無ければ…私は正しい…とはなりません。
そして人間には体力の違いがあり、それが強者弱者にもなっています。
そして体力の強いものが弱いものを押しのけて勝ち組になり、弱いものは負け組になっています。
また能力の違いからしても、能力の優れた者が勝ち組になり、劣る者が負け組になっています。
だから人間界には差別があって当然ですから、その差別をなくすることは絶対的に無理なのです。
なのにその差別を何とかしなければと立ち上がる者が出てきても、無理なものは無理なのです。
だから未だに差別があります。
そして強者がのさばり弱者が虐げられています。
また強者は自信があるだけに私は正しいと主張堅持したがりますが弱者は自信がないだけに引っ込んであまり出てきません。
またそれだけに弱者ほど世間の下積みになったり端っこに追いやられることにもなります。
ということは強者が世間に目立ち弱者が片隅で静かに生きることになります。
それでは強者が良いところを丸取りしているのか?となると…この世は矛盾に満ちていますから…そうとは限りません。
何故なら…強者ほど守り闘う意識も強くて常に精神的ストレスを背負い込み抱え込んでいるからです。
だから外見では張り切っていても内面では相当に乱れ疲れています。
しかも目先のことばかりに集中していますから内面的なことに全く気付いていない人も多いようです。
だから自己拡大の所業による世間のしっぺ返しが起きたり、その積み重ねによる裏返し・どんでん返しとなる有事に遭遇することにもなりやすいのです。
しかも自己拡大の所業からして体調が悪かったり痛いところがあったり精神的に苦悩していれば生きた心地がしません。
ところが弱者になって…逃げるが勝ち…になっていたなら、多くを持っていませんから、それらを守り闘うことも少なくて、その分だけ精神の乱れストレスが少なくてすみます。
然るに強者を選べば心身ともに疲れるが、弱者を選べば心身ともに健やかで穏やかに生きていけます。
ちなみに私の過去は前者でしたが、現在は後者を選んだことになっています。
そして過去のような自己拡大に二度と戻ることはないでしょう。
然るに…見える結果よりも、見えないところにある心精神意識の有り様・原因が一番重要だと気付き悟ったからです。
だから見える世界よりも見えない世界を意識した生き方になっています。
だから見せ掛けよりも本音で生きることにもなっています。
然るに善人ぶらないで自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって生きています。
またそれだけに孤独の自由を大いに味わい楽しんでいます。
然るに強者を選んでも弱者になっても、生きている限り何をやっても不完全で矛盾偽善なのですから、
だったら頑張らずに見栄張らずに欲張らずに我を張らずに素朴謙虚の省エネ楽ちんにしていきているほうが自然界にも人間界にもあまり迷惑をかけずに、自らが選んだ生き様にしてその納得人生で人間を終えることができます。
然るに…終わり良ければすべて良し…となるのです。