孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私が…この世に稀なるブログを書くことで…私の心も体も救われています。

2017年02月08日 | Weblog
東西南北の老若男女の誰もが公平なのに「時間」があります。

だから…金は稼げるが、時間は稼げない…といった経済学者がいました。
然るに…時は金なり…の言葉があります。

ちなみに…守り闘うことをしなかった縄文時代を滅ぼした弥生時代から集合化・合理化・効率化・能率化(時は金なり)が始まったと考古学者が言っていました。

となると私が働き盛りのころは「時は金なり」が如くだったとも言えます。

ところが現在では…「時は金なり」を卒業して…一日中暇になったことからして…その心のゆとりからして完全真理と自己縮小の精神世界を意識しての自問自答する精神的な時間が多くなり、そして気付いたことをブログに書き込む時間にもなっています。

然るに食って寝て糞をしながらにして生きていることの以外は…殆どが己の中の精神世界の中で自問自答している時間となっていますから、まさにこのブログを書くために生きているような感じになっています。

然るに一日24時間の時間を如何様に使うかで己の生き様人生が決まっているともいえます。

ちなみに…生まれたからにはいつ死ぬやれわからないだけに…「時は命なり」…といえますが、
その生きている時間を楽しむためならば…それは生きている時間の浪費とお金の浪費にもつながると思っています。

しかも己の思い感情で生きているところが多いにありますから…それは夢の世界・白昼夢・おとぎ話・SFがごとき…「時は思いなりの思いの世界」非実在の世界で生きていることにもなります。

また理想目的に燃えて頑張っている人もいるようですが、その努力の甲斐あって手にしても、それを守るためにそれ以上の努力が必要になることや、その上には上が切りもなく続いていることの事実を知らないままに夢中になっている人もいることでしょう。

ちなみに私の過去の働き盛りの頃の経緯経歴がそれに当てはまります。

そしてそんな過去を懐かしくも思えますが、完全真理とその自己縮小の実践からして、それが如何にお粗末なことだったのか省みることにもなりました。

それが何度も書いているように…不完全意識が原因のその結果も不完全でその矛盾と偽善を味わうことになるだけです。

然るに…時は金なりではなくして…「時は命なり」…となれば現在の自己縮小も深みが増すのでしょうが…
暇つぶしに四苦八苦している…時は暇なり…の未熟さがあるだけに…時は命である…までには至っていないようです。

しかし暇つぶしに…逆は真なりの非常識的な…この世に稀なるブログを書いていることが…せめてもの救いになっています。

然るに…矛盾偽善のない真実事実を根掘り葉掘り書いている…このブログを書くことで…私自身の心と体も救われているのです。

それも…嘘偽りのない…信じるか否かのない…事実なのです。

…人間でいるよりも…夢の世界・白昼夢・おとぎ話のような思いの世界で入り浸っていたいようです。

2017年02月08日 | Weblog
…此れではダメだ何とかしなければ…と不満と欲や見栄の思い感情でもって自己拡大していれば…それは思い感情の非実在の世界=不確かな矛盾と偽善の世界=で生きていることになります。

となると…思い感情の非実在で生きていることは本物ではなくて=人間であって人間ではない・生きているが死んだも同然=が如くの生き様になります。

ところが…食って寝て糞をしながらにして生きていることは…思い感情の世界ではなくして=事実の世界=でもって生きていることになります。

然るに何度も書いていることですが…性根・心に届いていない人が多いようです。

だから誰でも喜びそうな…人情や愛情や絆や信頼といった…思い感情の類を得てして使いたがっています。

然るに…夢心地になれる言葉が大好きなのです。

そして…単に生きているだけでは面白くないと思い違いしているのです。

だから…巷の人為人工的な変化刺激・快感快楽に酔いしれていたいのです。

だから…麻薬が如くの依存症になったりリピーターにもなっているのです。

然るに…人間でいるよりも夢の世界・白昼夢・幻・おとぎ話のような世界で入り浸っていたのです。

然るに…花咲かせ爺さんやかぐや姫や乙姫様になりたがっていたり、助けた亀の恩返しで竜宮城に行きたがっていたり、鬼退治の桃太郎になりたがっていたり、経典を求めている三蔵法師になりたがっていたり、サンタクロースやシンデレラになりたがっていたりするのと同じです。

然るに…叶わぬ夢を追いかけることが人間だと…思い違い勘違いしているのです。
しかもそれが正しい事と思い込み自己陶酔している人も大ぜいいます。

そして…ウンコに集まるハエが如くの意識でもって…不確かな所業・摩訶不思議を成す輩のところに集まりたがることにもなっています。

また…同じ穴の狢が如くの意識で集まり、そこでドングリの背比べをしながら過ごすことになり、
何か有事が起きたときは…お池に落ちたドングリやドツボにハマったが如くになったり、
また対岸の火事ならぬ・足元から火がついて・そのドングリが弾け飛び・二度と元には戻れないことにもなるのです。

然るに何度も書いていることですが…どうやら暇つぶしに読んでいるからか・自覚されていない人が多いようです。

それでも…このブログを読んで…目からウロコが落ちたが如くになったり…水を得た魚の如くになる人も…必ず出てきます。
何たって私が完全真理とご縁があったことからして目覚め水を得た魚の如くなった事実があるからです。

然るに…氷が如くのガチガチに凝り固まった矛盾意識・特別意識が宇宙の流れエネルギーによって溶けはじめ、やがて水が如くの平らな普通意識になる、その仕組みが2000年以来すでに始まっているからです。

ちなみに私と縁が深いオーストラリアのシドニーオリンピックでの開会式に聖火台が水から浮かび上がり登場したことを記憶している人もいると思いますが、それが水意識の始まる前触れ前兆なのです。
またその開会式の当日に…水とも縁が深かい…私がいま住むところに初めて来た日でもあります。

ちょっと横道にそれましたが…
とにかく思い感情は事実ではないから矛盾偽善になるのです。

そこで数々の事実を知ることで本物の真実を味わえるようになるのです。

そして…食って寝て糞をしながらにして生きている…その事実だけで十分になるのです。