孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

世間の片隅で静かに生きている人は「選ばれし者」となる可能性があります。

2015年01月26日 | Weblog
現代の何でも簡単に知ることが出来る&お膳立てが整っている時代に生きている人は選ばれし者と言えるかもしれません。

何たって高度な教育指導を受けて読解力・理解力や判断力も備わって利口にもなっているし、地球の果てから隅々まで起きていることを瞬時にキャッチできる環境にあるし、また地球誕生以来から現在までの時代の推移(始まり終わる繰り返し)も学んで知っているし、またこの世人間関係の矛盾・不完全さも大いに味わっているので、
ここで私が事細かく書かなくても簡単に納得できるだけの知識能力が備わっているはずです。

それでも誰かが語ることも書くことも無ければ確認できないから&確信自信が持てない場合もありますから、然るにその道の先生の言うことに聞き入ったりネット検索で様々なことを検分することもできるわけです。

然るに見えない世界・摩訶不思議の世界となると尚更のことです。

ところが肝心要の精神世界が後回しになって、占い運勢や予言予知やUFOや宇宙人と言った未来・未知の世界を知りたがることになったり、また超能力の類に魅せられたままにそこで止まっている人も多いはずです。

となると此れまでの学問知識や体験経験見聞したあらゆる分野の情報・自力を活かすことにならずにして、
何やら他力依存的な人任せのようになり、そして言われたことをそのままに鵜呑みにして受け入れてそれを信じて従うような形になり、結果的には自分を見失っている形になり、生きているが死んだが同然の生き方になるわけです。

また矛盾のある邪な精神世界に関わってその被害者になっていることも知らずにしてそれをブログなどに書き込んだり、また不特定多数の者にわざわざ出向いていったりして、その宣伝布教に精出して同じ被害者を作ることになっている人も大勢います。

またそれ程の能力があるわけでもないのに不確かなことを如何にも確かで自信あるように見せ掛けてまで己を売り込みたがる目立ちたがる輩も何かといます。

だからヘンテコな精神世界に関わらずにして
世間の片隅で静かに生きている人のほうが(今の時代を選んで生まれ)(滅びて新たに始まる時代に生きる)「選ばれし者」となるかもしれません。

然るに(私が思うに)この時代を破滅に追いやる比較競争のピラミッド型の組織に馴染めずにして落ちこぼれた人のほうが(特別が少ないから)何かと欲張らずに謙虚質素素朴に暮らしていると思われるからです。

何はともあれ医科学や物質経済を優先してきたそのツケが目白押しに起きているからにはその災害被害に遭遇することになりますから、然るに多くを持っている特別な人よりも少ない人のほうが動揺することも少なく(未練執着にならないで)その心意識の立ち直りも早いから、困ったことに執着することなく平常心で生きていけるようになるからです。

そして多くを求めない・欲しがらないままに(無理する事無く)生きていけるから、結果的には自己縮小したことになり、その自己縮小を実際に真摯に味わうことにでもなれば更に欲張らなくなってそれだけ自力を多く使うことになり、その自力を使って生きていくことに真の価値があることにも気付きます。

だから(例えば)必然ご縁からして欲張らない者同士が(少人数でも)集まることになれば、それぞれの個性役割&自力を出し合いながら共に生きていくことになれば、互いに否定反発されることも束縛制限されることも無く、その自由と平等にして共に生きる調和の人間関係にもなれるのです。

そうなれば、今まで誰も味わったことがないような人間関係にして(新たな始まりの前兆&お手本として)新たな生き方が出来るようになるのです。