私たちは学問教育のお陰で様々な知識を得ています。
然るに石器時代が滅びることになったのは青銅の武器によるところがあり、また青銅よりも硬くて切れ味の鋭い鋼鉄の武器が出てきたり、更に爆薬までが使われるようになったりして同時に時代が進化発展して来たことを学び知りました。
然るにそうなったのも、少しでも優れた物を欲しがり、少しでも便利で少しでも速くしたい欲や少しでも多くを得たい欲からして生きてきたからとも言えます。
そして岩をも砕くダイナマイトが爆弾になり、多くの物を運ぶ船や車が戦艦や戦車にもなり、空を飛んで距離を短くしたり高速で時間短縮するための飛行機が戦闘機になり、ロケットが核ミサイルにもなりましたが、それも最初は良かれと思ったことから始まったことなのです。
また泥棒が悪い事とは知りながら泥棒をする人があとを絶ちません。
然るに人を殺めることは悪い事と知りながらもそれを繰り返す人もいます。
その原因に少しでも良くなりたいと手前勝手に思って欲しがる欲があるからです。
その良かれと思った欲からして大事になるのは、その欲からして自制心が失われて心意識精神が闇に覆われたが如くになって闇雲に突き進むからです。
然るに欲ほど恐ろしいものは他にありません。
しかもその欲からしてすべてが始まってもいます。
ところが少し位ならいいだろうと思うことからして、然るに「あまり」欲張らなければいいとして、欲張ることを正当化したがります。
然るに少しでも良くなりたいと思ったり、人を少しでも良くして上げたいと思うことが良い心であって欲ではないと正当化しているのです。
ところが欲だけは止まることを知りませんから、然るにキリも無く続きながら更に大きくもなります。
そして欲を正当化すると私は正しいと思うようになり、持ち前の抑制心自制心さえも突き破ることからして大変なことを仕出かすことにもなるのです。
またその欲が集合すると岩をも砕くような破壊意識となって互いが争い戦うことにもなり、そして少しでも早く決着をつけるがための欲からして大量破壊兵器や核爆弾のスイッチを押すことにもなるのです。
だから大事になる前に欲張ることをやめなくてはなりません。
ところが皆して欲張ることをやめるのには無理があります。
だから欲が自制心さえも超えて恐ろしいことを仕出かすことを知ったならば、その知った者だけが欲張らずに生きていくしか他に道が無いのです。
ちなみに欲張らなくなると必然ご縁の成り行き任せにして生きることになり、そこで特別な自己満足が無くなりますがその苦も当然ながら無くなりますから(喜怒哀楽が無くなり)然るに心穏やかにして「楽に」生きることになります。
何はともあれ、この世に欲があるのは皆して欲張るためではなくしてその欲を無くする事にあると自覚納得確信に至ることです。
然るに石器時代が滅びることになったのは青銅の武器によるところがあり、また青銅よりも硬くて切れ味の鋭い鋼鉄の武器が出てきたり、更に爆薬までが使われるようになったりして同時に時代が進化発展して来たことを学び知りました。
然るにそうなったのも、少しでも優れた物を欲しがり、少しでも便利で少しでも速くしたい欲や少しでも多くを得たい欲からして生きてきたからとも言えます。
そして岩をも砕くダイナマイトが爆弾になり、多くの物を運ぶ船や車が戦艦や戦車にもなり、空を飛んで距離を短くしたり高速で時間短縮するための飛行機が戦闘機になり、ロケットが核ミサイルにもなりましたが、それも最初は良かれと思ったことから始まったことなのです。
また泥棒が悪い事とは知りながら泥棒をする人があとを絶ちません。
然るに人を殺めることは悪い事と知りながらもそれを繰り返す人もいます。
その原因に少しでも良くなりたいと手前勝手に思って欲しがる欲があるからです。
その良かれと思った欲からして大事になるのは、その欲からして自制心が失われて心意識精神が闇に覆われたが如くになって闇雲に突き進むからです。
然るに欲ほど恐ろしいものは他にありません。
しかもその欲からしてすべてが始まってもいます。
ところが少し位ならいいだろうと思うことからして、然るに「あまり」欲張らなければいいとして、欲張ることを正当化したがります。
然るに少しでも良くなりたいと思ったり、人を少しでも良くして上げたいと思うことが良い心であって欲ではないと正当化しているのです。
ところが欲だけは止まることを知りませんから、然るにキリも無く続きながら更に大きくもなります。
そして欲を正当化すると私は正しいと思うようになり、持ち前の抑制心自制心さえも突き破ることからして大変なことを仕出かすことにもなるのです。
またその欲が集合すると岩をも砕くような破壊意識となって互いが争い戦うことにもなり、そして少しでも早く決着をつけるがための欲からして大量破壊兵器や核爆弾のスイッチを押すことにもなるのです。
だから大事になる前に欲張ることをやめなくてはなりません。
ところが皆して欲張ることをやめるのには無理があります。
だから欲が自制心さえも超えて恐ろしいことを仕出かすことを知ったならば、その知った者だけが欲張らずに生きていくしか他に道が無いのです。
ちなみに欲張らなくなると必然ご縁の成り行き任せにして生きることになり、そこで特別な自己満足が無くなりますがその苦も当然ながら無くなりますから(喜怒哀楽が無くなり)然るに心穏やかにして「楽に」生きることになります。
何はともあれ、この世に欲があるのは皆して欲張るためではなくしてその欲を無くする事にあると自覚納得確信に至ることです。