孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

完全真理があれば他の精神世界も必要なく、また自己縮小以外に道は無いのです。

2015年01月11日 | Weblog
私は巷の神仏霊魂の精神世界や信仰宗教に無関心だったから、然るに釈迦やイエスの類が何を説いているのか未だに知りません。

ただ若い時に映画三昧(特に洋画)していたので、その中に天地創造やノアの箱舟やまたモーゼやイエスや釈迦が主人公の映画からして少し記憶に残っているだけです。

然るに神仏霊魂を信じることや先祖供養や葬儀葬祭やまた親孝行や家族愛や絆といったことさえも違和感でもって納得していませんでした。

そのことを今省みれば(完全なる宇宙&神&愛とは違う)不完全意識の人間が何らかの欲絡みからして手前勝手に形作り説教している形だったから何となく違和感になっていたのかもしれません。

だから巷の不完全な精神世界は必要なかったのです。

それなのに(私の場合は)否定反発排除しない愛の霊能者や山田耕栄さんの(信じるか否かの無い)完全真理に必然ご縁が仕組まれたことからして今日があります。

それを言い換えれば、何やら不可解で怪しげな(完全&愛がない)巷の精神世界や神仏霊魂の世界でもって信仰心をあおる信仰宗教をあまり知らなくても、
その中に信じるか否かがあったり、また飴と鞭の使い分けがあったり、また否定反発排除するところがあれば、
それはインチキカルト&偽善と理解して、そこで深く関わらなければ何の問題にも巻き込まれません。

然るに地獄に落ちるとか、祟りタタリがあるとか、災いが起きて不幸になるとかで不安心配恐れることにもなりません。

すなわち「触らぬ神に祟り無し」となるのです。
※この言葉を残した人は巷で言われている神の矛盾・不完全さに気付き悟った(名も無き仙人が如くの)人だと思われます。

ちなみに自力自信の少ない人がその弱みに付け込まれたり惑わされたり、また救って欲しい助けて欲しいの欲絡みから関わったり、また思惑期待や世間に目立ちたいがための欲絡みからして関わるから、そのヘンテコなことに巻き込まれているし、また自らがヘンテコなことをしでかして、人様まで巻き込むことにもなるのです。

然るに欲張るからヘンテコなことになるのだから反対に欲張らなければ安心安全な心持になれるのです。

すなわち日々欲張ることばかりしているから(変化刺激と自己満足を味わって騒いでいるから)その欲張らないことの結果・正味を味わえないままに「人間を終える」ことにもなっているのです。

だから欲張らない自己縮小を根堀り葉堀り書いているのです。