孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

身近に仲間がいると心強くなりますが、その裏には孤独感が隠れています。

2012年11月29日 | Weblog
完全真理&自己縮小の実践をするには恋人や家族やのしがらみから離れて仏門に下るが如くの決心決断が必要と書いていますが、
耕栄さんの講演会に集まる仲間がいても、その実践仲間となると身近には誰もいません。
もし同じ地域に仲間がいても寝食を共にしているわけではありませんからやはり独自独歩の実践になります。

ところが宗教であれば(仏門に下れば)
世間から隔離された場所・環境状況で寝食を共にし精神修養・鍛錬試練や聖書経典を唱えるなどの行動を共にしている仲間が身近にいるので心強くもあり共に目指すことができますから、その仲間がいることから言えば完全真理よりも恵まれた環境状況になりますから初心を貫くことも容易くなります。

しかし完全真理の実践となると
一般世間の中で生活していれば実践意識よりも不完全なこの世やその人間関係に意識が多く使われますし、また実践意識で暮らしている人も身近にいないことからして共に励まし合い確認し合いそのやる気・意欲が高まるその機会もなく、
それだけに趣味嗜好娯楽に興じる時間も多いことでしょうし、連続物の朝ドラや大型ドラマやスポーツや歌謡番組に魅せられている時間もありますから、その分だけ実践意識から離れているはずです。


だから完全真理の実践、自己縮小の実践には宗教のような仏門に下るが如くの決心決断&環境状況が必要だと書いているわけです。
しかしそれには相当な無理があるとも書いているわけです。


ところが精神世界でなくしても何かと仲間・人の集まりが必然のようです。
と言うのもパート先の牛舎のオーナーが廃業をも考えていた時期に必然ご縁からして私がお手伝いする事になってからは日増しに意欲的にもなりその創意工夫が活かされることにもなりその成果も出ていることからしてそれが喜び感謝や元気な笑顔にもなっていることからしてです。

しかもオーナーが精神世界の諸々の書籍でもって相当に勉強していますからその会話も交わせますから尚更に(双方共に)都合が良かったのです。
しかもパチンコ愛好も同じですから何かと会話するチャンスがあります。
それだけに(成り行きから)仕組まれたその必然ご縁が双方ともに有り難いことにもなっているのです。

だから自己縮小の独自独歩の実践中の私も同じくして、分かり合え語り合える仲間が身近にいることを望んでいるのと一致します。
また講演会にしょっちゅう参加している人たちのその心情とも一致します。
ゆえに否定反発の無い仲間意識の人が集まることも必然になるのです。

しかし皆が同じ不完全意識(比較差別・否定反発)をもっている事実は変わりませんから、その自己縮小も人様の影響(お節介や介入)を受けないでおれる自らに似合った環境状況でもって独自独歩でやるしかありません。
そしてそれが孤独・自由を生かした自力と自信の実践であれば人の集まりが無くても孤独感にはなりません。

しかし幾ら完全真理を学び知ったとこで、
自らが否定反発・束縛制限の無い自由意識でもって、その気楽気軽さと呑気さを味わうことを意識して望んでいなければ自己縮小の実践には至らないでしょう。