孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自力と自信の無い精神力の弱い者同士が何かと集まりたがるようです。

2012年11月17日 | Weblog
私も不完全意識を持っていますから、孤独が孤独感になることもあります。
しかしそれに執着しないで済みますから直ぐに平常心に戻ります。

何故だと思いますか、
それは自由だからです。

何たって孤独だから(見栄や世間体や妻や家族を気にしないで)人様の事を気にしないで、自分が思うままに好き勝手なことを遠慮なく自由にやれることからして、その孤独が気にならないのです。

ところが妻やと一緒に居るのに孤独さを感じて、それが虚しくて孤独感を味わうことが過去に度々ありました。
何たって妻や家族と一緒に暮らしていれば個人の自由が制限されます。

その自由が制限制約されている上に(意思の疎通が無くて)一人ぽっちの孤独とその虚しさの孤独感が(人に囲まれているのに出てくるのですから)尚の事に相当な精神的ダメージを受けます。


だから街中の大勢の人がいる中で孤独を感じ、それが虚しくもなり、その孤独感からして生きていることがつらくなる人(引きこもり現象)が大勢います。
ところが田舎では(私同様に)その独り暮らしを意気揚々として味わっています。


皆さんの中にも孤独と自由が無いためにその裏の孤独感を感じることがあると思います。
そこで遊び友達や仲間が欲しくなったり、また大勢の人が集まる所へ何かと出向いていくこともあると思いますが(生まれながらにして孤独なだけに)それが孤独になりたくない(孤独が怖い)その思いが奥底にあるからです。

そこで集まった者同士が共に比較競争し優劣や損得や勝敗に拘ったり、また自慢しあったり、また慰め励ましあったりもして、それぞれが孤独にならないように共に支えあっているようですが、しかし(裏を返せば)それが都合が良いときと悪いときがあるのが事実にあります。

それをいちいち事細かく書くことは何度も書いているので省略しますが、
とにかく何が無くても自由があれば気落ちすることなく平然と生きていけるのは事実にあります。

だから自由があれば不完全意識ながらも何とか乗り切っていけるのも事実です。
反対に自由が無いために多くの問題を抱え込むことにもなって意気消沈しているのも事実にあります。

だから孤独が寂しいと思うのは(他力依存からして)自力と自信の精神力が弱いからです。
そしてその精神力の弱い者同士が何かと集まりたがるのです。

またその精神力に欠けた人(弱みを見せた人)が集まりたがることを上手く利用したがる、そんな利口な人や欲な人までもが一緒に参加しているわけです。

また皆で何か事を成そうとするときに(人が集まると必ずリーダーが登場しますから)そのリーダーと共に一致団結して頑張ろうと(期待を込めて)声を張り上げているのです。

それが俗に言う(人が集まるところの)ピラミッド社会(宗教組織を含めて)の生け贄・人身御供・使い捨て・奴隷になるとも知らずに、です。