孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「触らぬ神にタタリなし」から「困った時の神頼み」になり「神も仏もあるものか」になる

2012年11月16日 | Weblog
このブログを読まれて気付いたとは思いますが、
書いている内容が今の常識から外れることばかりですから、
精神世界や宗教思想真理や人生の歩みの中で思い悩み考え思考錯誤した人の中にも、
何かと否定反発する人も多いと思います。

その常識とやらに
働かない者は食うべからず、苦労は買ってでもしなさい、理想目的を持ちなさい、成せばなる、欲が無ければ生き甲斐を失う、信じて頼るその信頼が必要、義理人情やの愛情が無ければ人でなし、親孝行や先祖供養が無ければ地獄に堕ちる、善を成せば天国、悪を成せば地獄、その宗教のいう神を信じて敬い尊ぶことも神に祈ることもその(特定特別な)神に感謝することも必要など等からして、
このブログの内容に否定反発する事にもなっていると思います。


ところが古今東西のそれら神々やその教えを信仰して良かった結果よりもそれ以上に深刻な問題になってそれが繰り返されていたり、それよりももっと悲惨な人殺し戦争の原因にもなっている事実があります。

だから最初は天使の姿を見せて人心をつかみ、その人心に期待感を持たせながらも、それらを思うがままに操ることにして、その人心の集合意識からしてサタンの役割(不都合な者を否定反発して排除させる)(宗教思想拡大のための侵略や戦争)を果たす人心に変化させていたとも言えるわけです。

すなわち我が宗教の我が神の思想普及拡大のために大勢の人が利用されて巻き込まれていたとも言えます。
そんな宗教の手先に使われているのに気付かないで「私は正しい」ことをしていると未だに自惚れてさえいるかもしれません。


ところがそんな宗教に馴染めずにいる人も、それら宗教の思想を(前記に書いたような事柄を)(信じるか否かを)いつの間にやら常識のように思っている人が多いのもおかしな事です。

また「触らぬ神にタタリなし」のはずが「困った時の神頼み」にもなっていますから、これもおかしな事です。

そんなご都合主義からして天使が悪魔にも変化するのです。
そして「神も仏もあるものか」の人殺し戦争にもなるのです。

だから常識にもなっていることの裏・真実・事実を知ることが先ず無ければその意識を修正することは不可能です。

そして自然体で生きる、今を生きる、欲を出さない、無理をしない、執着をしない等と言われながらもその実践は出来ていません。
それは天国を知らないものがその天国を目指すのと同じで無理があるのです。

しかし想像の世界の天国ではなくして実在する中で味わうことですから、実際に実践さえすればそれが味わえるのです。


その実践する前からやる気にさせてくれるのがこのブログだとも言えますが、
そのお手本となる映像をテレビで何度も見ているはずです。

私から見れば恵まれている状況環境でもないのに皆が明るい笑顔で暮らしていて、その中には此れで十分だからと他に望むことはないとまで言っていた人たちがいたでしょう。
素朴で元気で明るい生活やその笑顔を何度も見たでしょう。
私はそれら映像に魅せられたひとりです。

反対に素朴さが無くて、子供らしさが無くて、目先のことばかり言って現実が無くて、自力が少なくて他力が多く、自由が無くて、比較競争することが先走り、派手好みで、立ち振る舞いが目立ちすぎる、潔癖症で、完璧を求める人たち、
それらの映像も見たでしょう。

その何れを選ぶのも自己意識・自己選択ですが、
その何れを選ぶも、
先ず動き出す実践とはならずにおいて、先走りの思い思惑や憧れ理想を持っているだけで、何やら自力よりも他力をあてにしているようですから、それなら不平不満が出てきても仕方がありません。

と言うことからして(このブログが)目先の忙しさで理性を失っているときのその気つけクスリや想像の世界の白昼夢の夢心地から目覚めるためのハッカ飴にもなればと思っています。