孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

単身生活者や離婚者や熟年離婚が増えていることは意識改革の学びの途中かも

2012年11月19日 | Weblog
一人だと一人力しか出ません。
ところが二人になると二人力になり、三人だと三人力になります。
だから人が集まるほどにより多くの力が集まりその分だけ成すことが多くも大きくもなりますから、その集合によって成せる事を拡大させることが出来ます。

反対に自己縮小が必要ならば(手っ取り早く)自分一人の孤独になればその自力を使うだけになりますから、今までの自己拡大の結果が否応なしに縮小していく事になります。

また身近に人がいませんから見栄や世間体も気にならなくなります。
また不足不満に思う相手も(身近)いませんから、当然の如くにその不足不満に思うことも減っていきます。
また自分の悪口や人様の悪口や陰口を聞くこともまた聞き耳を立てられることも世間話等でうるさく騒ぐ人もいませんしまた要らぬ口出しされたりお節介されたり指図も受けません。

だから人様に影響されません。
まさしく自由に生きられます。

ところが矛盾意識を持った人間ですから良いこともあれば悪いこともあります。
だから自由な孤独が人恋しい人肌恋しい孤独感にもなります。

ところが良く考えると、
街中で妻や家族と一緒に暮らしていたのに(孤独ではないのに)(前頭に書いたようなことが原因からして)意思の疎通に欠けていることからして、それが虚しくなるその孤独感を今よりも多く味わっていた事に気付きました。

すなわち人恋しい孤独感なら皆で寄り添っていれば何とか解決できます。
しかし意思の疎通に欠けた疎外感・孤独感だけはその相手がいるだけに、自分一人の問題ではないから、その解決が難しくもなりますし、その相手次第ではどうすることも出来ない状況になる場合もあります。

と言うことは、
人と接する限りにおいては
互いの意識の疎通が無ければ疎外感・孤独感が出てくると言うことです。
ところが皆が不完全意識だけに意思の疎通は望めません。

そこでその孤独感を癒すために心の奥底に溜まっていた不満不足や不安を吐き出す事になったり、その代替に食べ歩きや行楽地めぐりや海外旅行や衝動買いやの物欲や贅沢で自己満足したり、また快適便利さを追求することで己の孤独感や虚しさの気を紛らしているとも言えます。

また孤独になるとその不安や恐れからして人と寄り添う事になっている人もいますが、近年のように自力に自信がある自立心・独立心・自由意識の強い人が増えていることからして、単身生活者や離婚者やまた熟年離婚や子供と離れて暮らす独居老人も増えています。

と言うことは(このブログに書いているように)
自力に自信があれば孤独とその自由を選ぶことが出来ると言うことです。
言い換えれば
今の状況境遇環境がどうであれ、その不安・恐れも無く、また意思の疎通に欠けた他力に頼ることも無く、その独自独歩の自力でもって心強く生きようとしている事になります。
言い換えれば
先々のことよりも「今を生きる」その学びの途中・予備段階・前兆線上にあるとも言えます。

すなわち自己縮小の自己改革・意識改革の流れ、
すなわち(終わり始まる)その宇宙の新たなる仕組みに乗ったとも言えます。
あとは欲張り無理することなく質素・素朴・謙虚な心持で暮らし続けていれば人間意識(闇意識)の夜明けを味わえることになるやもしれません。