ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

【映画】パパはわるものチャンピオン・後編

2018年10月10日 | プロレス・格闘技

今回の応援上映参戦を「その道の先輩」3号に語ったところ、

「何度か見た後の方が、声出しのタイミングがつかめるのに」

と心配された。まあ、確かにその方がベターだったが、

プオタ同士の連帯感でカバーできた。上映前の「映画泥棒」で手拍子が起きる盛り上がり

それにしても、映画館のロビーがプオタで埋まる光景を初めて見た。

ただ、棚橋主演の映画なのに、ACEグッズ持参の人が意外に少なく、

ロス・インゴとバレクラのグッズが目立った。

むろん、お手製の「大村応援ボード」持参という熱心なファンもいたけれど。

トータルでは、やはり映画初見の客はそれほど多くなかった様子

上映前には監督・脚本を務めた藤村享平さんがあいさつ。

「プロレスの試合と同じく、この作品を皆さんの声援で最高の映画にして下さい」

という言葉に大きな拍手が起きた。

そして鑑賞。この映画の特徴として、江東区のいろいろな場所が登場する。

まず道場や試合会場の舞台が「ディファ有明」

<6月末で営業終了。この施設の映像資料としても貴重かも

他にも知っている場所がいくつかあったので、8日のうちにロケ地を回ってきた。

  • 小名木川クローバー橋

猿江・大島にまたがる十字型の橋。以前にも当ブログで紹介した。

映画では、祥太が級友と試合会場に向かう場面にこのアングルで登場する。

「ひとり寂しげに歩く祥太が橋の中央を曲がると級友が待っている」

この橋の特殊な構造を上手に生かしたシーンになっていた。

  • 小津橋

深川界隈の牡丹・古石場に架かる橋。下には親水公園がある。

この橋の上で、祥太とミチコがたびたび言葉を交わしていた。

なぜこの橋と分かったかと言うと、

写真にもある銘板と住所表示板がそのまんま映っていたからwww

小津橋の名称は、この地で生まれ育った小津安二郎に由来。映画に縁深い橋である。


  • 輪島大士逝く

享年70歳。合掌。「横綱」「レスラー」「タレント」

ワタシを含む昭和40年代生まれは、この三つの顔を知る世代だろう。

レスラー輪島は短命に終わり、その評価も芳しくなかったが、

振り返ると、輪島のプロレス転向がもたらした大きなムーブメントが二つある。

ひとつは、ゴールデン・アームボンバーから派生した「のど輪落とし」の流行

田上明やアンダーテイカー、ケインら長身レスラー向きの技として国内外に定着した。

もうひとつは、天龍革命の勃興 「横綱は強くあれ」という思いから繰り出した

天龍の輪島への激しい攻めは「龍原砲」のハイライトのひとつだった。

この猛攻に当時、新日本にいた日明兄さんが「自分たちの存在意義が無くなる」と

危機感をおぼえて「長州蹴撃」に走り、新日本を追われたのは有名な話。

つまり、輪島なくして、新UWFとその後のMMAの隆盛は無かった、とも言えまいか。