しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

梅雨の晴れ間にヤモリの食事

2010-05-20 15:41:02 | かんしがかり
ご当地検定ネタはまだまだ続きがあるのですがひと息入れてっと

梅雨入りして10日余り、日曜からは雨もなく気温もずんずんと上がっております。

公園や民家の庭ではハイビスカス、ブーゲンビレア、プルメリア等が咲き誇っておりますが今年はデイゴの花がまだ咲かないようです。この花がたくさん咲くと台風の当たり年といわれていますがここまで咲かないのは不気味です。

さて昨夜のこと、家の中の壁に気配を感じてふと見上げると

              

ヤモリがコオロギのような虫とにらめっこしているではありませぬか

これは捕食状況撮影のチャンスとカメラを向けて静止画でパチリ。

そうだこのカメラは動画も撮れるのだった、とえーーーっと動画、動画とぐずぐずしているうちに頭をあげると遅かった。

              

もう食われているではないかいな。

こうやって家に中に侵入した虫を整理してくれるミヤコヤモリ君でありますが、似たような名前の例のまもる君と違うのは、家の中を動き回ってびっくりさせてくれることなのですよ。

でもまあしっかり働いてくれよな

ご当地検定宮古島版その2

2010-05-18 15:36:27 | しらべもの
ご当地検定第2回です。参加者は21人だったようです。

先週に続いて地元紙を飾りました。好奇心丸出しだぞ本望さぁ。

           

マングローブ園をあとにした一行は、ベルリンの壁のかけらが展示されているドイツ文化村近くの博愛漁港から水中生物と景観を学習するため水中展望船に乗船。

           

水中の眺めは小回りのきくダイビングにかなうべくもありませんが、ダイビングのリスクを避けた誰でもお気軽に楽しめるプログラムと思っていたら、結構船が揺れて気分が悪くなり、船べりから撒き餌をしていた方もいた様子。それに食いつく魚がよってきたりしてちょっとしたサプライズでした。


            

また寄り道しますが、ドイツ文化村の由来について触れねばなるまい。

時は明治6年(1873年)7月。
そのあたりの琉球王国はというと、1871年の「廃藩置県」により薩摩藩を始めとする諸藩が解体されたが、明治政府は、薩摩藩に従属していた琉球王国の国際的地位を明確にするために1872年、琉球王国を「琉球藩」、琉球国王を「琉球藩王」とし華族に列する、という内容の勅書を発し、日本の領土として位置づけたところである。その前年に台湾に漂着した宮古島民が、台湾の原住民によって殺害された事件をきっかけにして、1874年台湾に出兵した。その際に行われた清との外交交渉で、「琉球人=日本国民」ということを清に認めさせ、翌年、内務省は琉球使節を上京させ、「冊封の停止」「藩政改革」「鎮台分営の設置」を申し渡した。そして、ついに1879年3月、内務大丞・松田道之は、内務官僚・巡査・歩兵合わせて600名余りを率いて首里城へのり込み、琉球処分(日本併合)を言い渡し、473年間続いた琉球王国は消滅した。という情勢にあったのでした。

実はその翌年1880年に、宮古・八重山諸島は清国の帰属とする琉球分割条約が日清間で妥結されていたが、最終的には調印に至らなかったという驚くべき歴史があったのであります。この時の因縁が今もくすぶっているのですよ。中国では。

横道の横道にそれると迷子になってしまうので、このことは別の機会に譲って話を1873年7月に戻しましょうね。

清・ドイツ貿易の商船「R.Jロベルトソン号」がオーストアリアはアデレード向かう途中、台風で遭難、流されるまま宮古島南方のリーフで座礁してしまったのであります。この時、島の住人は小さな船を出して救出を試みますがリーフに阻まれ接近できず、やむなくかがり火をたいて見捨てていないゾと信号を送りつつ、嵐が治まるのを待っておりました。

ようやく救出し、言葉の通じない人たちの面白い交流(たぶん)ののち、祖国へ帰った船長なんたらヘルンツハイムは旅行記を新聞に発表。それを目にしたドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は「宮古人の博愛精神に感動した!」とかいって表敬軍艦を日本に派遣。宮古島平良港を見渡せるスロープに博愛記念碑を建てたのでありました。1876年3月のことです。

時代は下って1987年日本。まさにバブル絶頂の嵐はこの宮古にもやって来て、当時の上野村が「ドイツ文化村」の建築構想に着手。50億円と9年をかけて1996年にグランドオープン。

突然ですがこの項終わり。

水中を学習した後は、つい最近、山口県角島大橋(1,740m)に日本最長農道橋の座を譲った来間(くりま)大橋(1,690m)を渡って来間島へ。島の大きさは皇居と同じ。

            


ここで島で紹介された苧麻を紹介しましょう。

            

この植物は国の重要無形文化財ともなっている「宮古上布(みやこじょうふ)」の原料であります。

また横道へ。

この宮古上布は、ロベルトソン号事故をさかのぼること約260年。薩摩藩による琉球支配が始まり、忌まわしき人頭税が導入されました。米で納められない宮古島では粟と宮古上布が税として納められました。宮古上布はその薄さゆえ軽く風通しがよく、丈夫なことが特徴で、現在ではとても高価なものです。また1反織るのに8週間かかるといわれております。

宮古上布のかりゆしウエアでも着てみるかと軽ーい気持ちで買いに行ったら1着9万円の値がついておりました。

帰りに橋から振り返ると、去る11月8日に紹介したタコのオブジェがある場所が確認でき、かすかにタコが足をあげてあいさつしてましたよ。(緑の崖の中ほどの赤い点)

            

お疲れさまでした。

ご当地検定宮古島版

2010-05-17 14:54:06 | しらべもの
昨日、梅雨の間のひと休みで天候にも恵まれつつ、ご当地検定宮古版「宮古島体感検定トライアスロン」に参加してきました。

トライアスロンのように宮古島、来間島、池間島をめぐりながら「海」「陸」「ヒト」の三つのカテゴリーについて体感しながら学び、検定試験を受けというもの。今年は初級。来年中級、再来年上級が予定されておりまする。

参加者は定員40人で24人程。残念ながらアスリートのトリではないのでバスで島内を巡り、上の「海」「陸」「ヒト」のトリの説明の中に問題の解答が隠されているというふれこみで約8時間、右脳と左脳を活性化させてきました。

その報告第1回。

まずは、マングローブ林へ行き、マングローブのあんちー、かんちー。

              

あいにく、新月の満潮時と重なり干潟生物は見られませんでしたが、皆様も一緒に、脳の引き出しにマングローブというのを加えていつか開ける日を待ちましょう。

汽水域に生育するマングローブ。マングローブという木はありません。そのあたりに生育する木の総称で、マレー語のマンギーマンギー(潮間帯に生育する木の総称)と英語のgrove(林)の合成語であります。らしいです。

宮古島にはオヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギ、ヒルギダマシの4種からなるマングローブ林があり、そのうちオヒルギの花(実際に赤い部分はガク片といいその中に花があるらしい)を「ワダツミ」と称し、元ちとせのデビューシングル「ワダツミの木」にも歌われていると説明されました。が、話はどんどんそれますが、この「ワダツミ」、ちとせの出身地奄美大島で発見された新種の植物名に使われていたことがネット検索の結果わかったわけ。その植物は絶滅危惧種に指定されているクサミズキの新種で白い花が咲くというのである。歌詞に「赤い花の島よ」とあるのによ!そんなに興奮する必要もないが。

             

まだ寄り道すると「きけわだつみのこえ」って聞いたことあるでしょう。「わだつみ」をwordで変換すると「海神」という候補が現れます。つまり、日本神話に登場する海の神なのですよ。

さらに寄り道すると、「きけわだつみのこえ」というのは第二次世界大戦末期に戦没した学徒兵の遺稿を集めたもの。

さて、マングローブの代表選手「ヒルギ」の語源は?というと、前述の赤いガク片の中からきゅうりのような胎生種子ができ、それが落ちて海底に刺さって根を出すわけですが、満潮時には底まで届かない為潮流に乗って分布を広げることから「漂木」これをヒルギと呼ぶわけさ。ちなみにヒルギダマシとはヒルギ科ではないのにヒルギのようにマングローブ林を構成するする植物でヒルギモドキなんていうのもいらっしゃる。

               

どこまで寄り道したか。

疲れてきたのでこの辺で検定の結果をお知らせして今日は終わろう。

その前に検定体験の参加者一同ではいンミャーチ。

               

検定では50問中40問の正解で合格。結構、聞いてないよーという問題もあり、予備知識が必要。

そこで1問。

「海水でも淡水でも生きていけるマングローブ、その為に発達した機能としてあたっているのは?」

1.葉から水分を吸収する
2.幹の中で塩分を栄養にかえる
3.葉っぱに塩分を蓄積し後に排除する

で、受験者全員合格。爺は48問正解で2番手でした。トップはは20代後半の女性49問正解。教師とか言っていたなぁ。

これが認定書。ものすごーく知識が身に付いた。忘れないうちにミャーチへいらっしゃいよ。

              

先ほどの問題のしぇいかいは「3」。1本の木には必ず何枚か黄変した葉があり噛むと塩味がする。

宮古島の苗字

2010-05-14 14:03:40 | しらべもの
今日は雨。盥をひっくり返したような雨が時折強く降っています。

盥読めますよね。最近の学生はたらい自体の存在がわからないヒトもいるみたいです。

先日、ダイビングショップのインストラクター30歳とオトーリを回したとき、北の空に輝く星座北斗七星を説明しようとして「柄杓のかたち」と言ったら「ひしゃくって何?」って返ってきてショックを受けたと涙しておりましたぞ。

さて、思いついて宮古島の電話帳からどんな苗字が多いか調べてみましたとさ。

輝く第1位は「下地さん」1,060件。名前のほうは重複が少なく「ゲンシン」さんが6件程度。よくつかわれている漢字は「玄」。好まれているようです。韓国の名前にもよく見かけます。

で、そのうちのひとりの下地さんのお宅。りっぱなお庭です。市が毎年「緑の街角賞」を選んで表彰しておりますが、何年か前には入賞したおうちなんでしょうね。

            

第2位は、「砂川さん」920件。下地さんも砂川さんも宮古島にある地名に由来しており、砂川は「うるか」と読まれ今も普通に通用している地名です。

            

第3位は、「平良さん」600件。これも地名ですが地名は「ひらら」苗字は「たいら」と読みます。「ひらら」は古い地名「ピサラ」の当て字説が有力ですが「たいら」は平家の落ち武者説の流れを汲んでいるらしく、これまた真実に近づけない伝説の一端です。

            

            

この苗字は、明治8年から「苗字必称令」により名前の前に姓をつけることとなったとき、住んでいた地名をみんなでつけたということですが、「日本苗字大辞典」では、85%の苗字が地名に由来しているとしており、ヤマトでも同じような事情であったと思われます。4位以下は「友利」「川満」「狩俣」「上地」といずれも地名とまったく同じです。

ちなみに、沖縄県では「比嘉」「金城」「大城」が上位3傑だそうです。

当地では、同姓のあまりの多さに皆名前で呼び合います。市役所への電話でも担当部署では「あきらさんお願いします」で取り次いでくれます。普通は敬称をつけずに呼び捨てです。

なお、ここのオジイは握手が好きで、ファーストネームを呼び合いながら握手で挨拶している姿はアメリカの移民映画を見ているようです。

1970年代初頭までドルで買い物をしていた名残でしょうか。

わたくしめはまだ名前で呼ばれるには至っておりません。時々「シモジさん」に反応して思いっきり返事してしまう程度です。


屋上緑化

2010-05-12 11:10:31 | エコアイランド
宮古島市は平成20年3月にエコアイランド宣言をいたしました。

その内容は

 1.私たちは、島の生活を支えるかけがえのない地下水を守ります。
 1.私たちは、美しい珊瑚礁の海を守ります。
 1.私たちは、みんなの知恵と工夫で、限りある資源とエネルギーを大切にします。
 1.私たちは、ゴミのない地球にやさしい美(か)ぎ島(すま)宮古(みゃ~く)島(ずま)を目   指し一人ひとり行動します。
 1.私たちは、よりよい地球環境を取り戻し・守るため、世界の人々とともに考え・行動   し、未来へバトンタッチします。

なのであります。

それに因んで、身近なお隣さんが実践している屋上緑化の実態をレポートします。

            

まずは緑化開始。

鳥の糞に含まれていただろう種が勝手に育ち始めたと考えられます。供給される土が問題となりますが瓦の葺き方に関係があるのではないかと素人は推察します。

瓦屋根の葺き方には「土葺」と「引掛葺」があるそうで、前者は瓦に下に土を置いて葺くやり方、後者は瓦を引掛けるための瓦桟を置いて葺くやり方。「土葺」のメリットは防火、防犯に優れているだけでなく施工面での修正のしやすさ、施工後のガタつきの少なさ、断熱効果等であります。反面重いため、小屋材や柱の断面は大きなものが必要となるのですね。

            

こんな大きな木が屋根の上で育つための土が風や鳥が運んだとは考えられないわけです。

でも根が張ったのなら瓦が浮いてきて不思議がないのですが。

近所のオジイ(たぶん同じくらいの年)は瓦の葺き方を見分けられて、これは土これは引掛けと瞬時に言い当てるわけですがどう違うかはまだ分かりません。

そのオジイのおウチの屋根は見事な緑化模様。ヒトの手が入っているとしか思えない凄さです。

             

ちなみに白くペイントされた瓦屋根のお家は「アジアンヒーリング SHANTI」さんというタイ古式マッサージとヨガのお店です。我が家とはトマトやピクルスや魚や野菜やいろんなものが行き来しています。どーぞよろしく。

            

お隣の白い屋根との対比が美しく、夏も涼しそうな宮古の古くからの集落の風景であります。