つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ 少飛の塔

2014-11-08 09:30:28 | エッセイ

エッセイ 少飛の塔

 

旧青梅街道の箱根ヶ崎近くに「岸」というバス停がある。
その近くの「里山民家」の小さな看板に添って住宅地を抜けると突き当り、左に行くと、
狭山丘陵が広がり、都立の里山民家、その後ろに「岸田んぼ」や六道山公園もある。

だが、すぐにはそこに行かず、右に曲がって「禅昌寺」というお寺に行く。
ここに少年飛行兵の慰霊を祭った供養塔がある。

戦前、全国から志願した少年兵が、1年の基礎訓練を終わって、操縦、通信、整備に
分かれ各地で訓練した後に出撃し、4.600人以上の人が亡くなった。
昭和19年頃からは、帰ることのない特攻で出撃した460人も含まれている。
17歳の少年も含まれていたなどを聞くと、息子たちに重ね合わせて素通りはできない。

 

 五年ほど前、夫は、取引先の社長さんが少年飛行兵だったと聞き、私が禅昌寺に行っ
たことを話すと、知らなかったので案内してほしいと言われた、と言う。

社長さんは休みの日、息子さんの運転で迎えに来た。
途中、武蔵村山市大南にあった陸軍航空少年飛行兵学校跡地に立ち、校門から入
るとこの方角に宿舎があったとか、木造の小さな2階建ての家を指さし、「少年の家」
と呼ばれたのはここだったとも教えてくれた。

終戦が近い頃に2度、敵機の爆撃を受けた。
操縦する兵士が見えるような近さだったので死ぬかと思ったとか、休みの日は部屋で
遺書を書いていたなどと、切れ間なく話された。

禅昌寺の境内に「少飛の塔」となって慰霊塔はある。
兵学校跡地に団地ができるので、昭和38年に移され建立されたのでまだ新しい。
過酷な運命に散った少年兵への慰めのように、柵の周りにコスモスが咲いている。

社長さんは記帳箱を開けて、長いことページをめくっていたが、ご自分も記帳された。
元の兵学校跡での興奮した話しぶりとは違い、「ウン、ウン」と小さくつぶやいて、静か
におだやかな口調になった。

コメント
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