エッセイ 従姉妹のたあちゃん 課題 【明治・大正】 2009.11.27
亡くなった母は、大正三年寅年生まれ、よく「私はごおうの寅よ」といっていた。強い寅だと言いたかったのだろうか。
九人兄妹の末っ子、姉達とは大分年が離れていたから、年の近い姪たちと親しくしていた。
特に近くに住む姪のたあちゃんとは、一見、姉妹のようだった。
「叔母さん居る?」と声がすると、「たあーか?」母はうれしそうに迎え、何だか、いつも頭をくっつけて、笑って話をしていた。
たあちゃんは、母より一回り下の寅年で、忠子と言う。
忠義の忠と言う字に寅年で、何となく勇ましく感じるが、はきはきした気持ちのいい人だ。
五人姉妹の、「長女でしっかりもの」、「目から鼻に抜ける」「子供の時はずーと級長だった」と、母は、妹のように自慢していた。
同じ長女だよと、従姉妹同士の私に、聞かせていたような気がする。
母の法事で、仏様と参列者に振舞う団子を作る事があった。
義妹が、前の日から米の粉を用意していた。
「お姉さん作り方を知っている?」と言うので「簡単よ、米の粉にお湯を使うの、水は駄目、それを丸めて蒸かすのよ」知ったかぶりをして、長女の貫禄をみせた。
次の日、朝から張り切って、こね台の米の粉にお湯を入れ、団子に丸めようとしたが、ざらざらと手にくっついて円くならない。
義妹と、「何か変だね」と言いながら、いびつな団子を蒸かした。
硬くてざらざらした、おかしな団子が出来上がった。
弟も台所を覘いて、「何だ?、これ」と薄笑いを受かべる。
こんな時はたあちゃんに聞くしかない、電話で事情を話すと、直ぐに来るという。
バイクの音がして、「あら○○ちゃん久しぶり」と、大きな笑顔で台所に入ってくる。
「ちゃんとこねた?、力を入れて、何回もこねるのよ」
こねる、こねるって事を知らなかった。
もう一度、柔らかな、丸い団子を作った。
従姉妹のたあちゃんは、何でも知っている。
つつじのつぶやき・・・・・・古い作品です。
今朝、散歩の時に、黄色い山吹を見て
懐かしかった「むかし」を思い出しました。