エッセイ 民謡(1) 課題【触れる・離れる】 2019年8月9日
昔勤めていた会社は、春と秋の社内旅行、新年会、忘年会とよく宴会があった。
お人好しに見えたのか、必ず何かを歌えと言われた。
私はそういう席で歌える歌は何にも無かった。
だから席に座る時は気を付けた。
端っこは良くない、正面も良くない。
なるべく目立たない所、指名されそうになったら、すぐに逃げ出せる廊下に近い席を選んだ。
それが苦痛だった。
カラオケ等無い時代、宴席で歌われるのは大抵民謡か歌謡曲が多かった。
「ほーら、ほーら早く」と手拍子で促されると、慌てて歌詞のわかる黒田節や真室川音頭等を歌った。
少し慣れた頃、歌謡曲の「くちなしの花」を歌うと、歌詞にかこつけて「失恋したの」「どう言う人が好き?」等と冷やかされ肴にされた。
友人に逃げてばかりいると話すと、高円寺の民謡教室を教えてくれた。
教室は商店街の中程にある楽器店の二階にあった。
板の間には様々な楽器やレコードのポスターが貼ってあり、そこに座布団を敷いて座る。
着物姿の先生は、何枚かレコードも出した中年の女性だった。
会員は地元の商店街の人が殆どだったが、新宿の方から先生のファンらしい男性も通って来ていた。
稽古は、初めに皆で合唱し、その後に一人一人が歌う。
大きな男性が窮屈そうに正座をし、ダメ出しを聞く姿は好感が持てた。
私は民謡に向いていなかった。
耳が悪いのか聞いてもその声が出せない。
先生が指を上や下に指して促すが出来ない。
ましてや小節等はもっての他だった。
発表会が近づき、何か一つ歌えるようにしなければいけなかった。
先生は小学校の教科書にも載っている富山県の民謡「こきりこ節」、子守歌のような単調な節回しを勧めてくれた。
土が感じられない、味のある唄には程遠い出来だったが、何とか仕上がり、初舞台に立った。
宴会で唄える唄が一つ出来た。
先生の講評・・・古き良き昔の社内旅行の風景が、目に浮かぶように描かれている。
レトロでセピア色の味