エッセイ あはは・・・
夫と食事をした帰り、ぼんやりとした街灯の歩道を、何にも話すことが無く歩いていた。
突然「顎に当たる風は寒いね」と言う。
思わず、「そうね」と言ったが、「顎」「あご」言わずにはいられなかった。
「それは、頬に当たる風じゃないの」
「俺も気づいたけど、いいじゃないか」
「どんだけ長い顔」「エラが張っているんじゃないの」
ロマンチックな気分が消え、いつもの二人になった。
今朝畑には真っ白な霜柱がたって、アスファルトの通りも所々凍っている。
「手袋をとると冷たいね」
「何にも触っていないのだから、そこは寒いというんじゃないの」
「すみません、エッセイスト」
最近こんな会話が多い。
今、文章教室に通っているお陰で、一つ一つの言葉、間違いや使い方を考えるようになった。
私も以前はこんな風だったかもしれない。
いろいろ恥ずかしい思い出があるが、特に漢字の読み間違いもした。
地下鉄が遠くまで延び、ホームに入ってくる電車の行き先に珍しい名前があった。
我孫子をアソシ、取手はトッテなんて読んだことがある。
恵比寿のことをケビスと言っていた知人もいた。
「親近感」を言おうとする時、「近親者」とごちゃごちゃになり、ドギマギしたことがある。
若い頃、社員旅行で房総半島をバスで巡った。
私は乗り物酔いがある。
その時も曲がりくねった道路にひどく酔った。
その晩は勝浦が宿だった。
帰りたいけどそうもいかず、一人電車に乗って別行動をしたいと上司にお願いした。
すると先輩が一緒についてくれると言う。
行き方を聞かれたので「アンボウ鴨川から電車に乗って」と説明した。
上司は「ウン、分かった気を付けて」といった。
先輩に「アンボウ鴨川からこの電車で」と真剣に説明をしていたら「アンボウではないよ、アワ鴨川と言うのよ」と教えられた。
【春・自由課題】 2016・4・8
先生の講評 言い間違いを書いているのに、夫婦の風景と
純情な若いOL,風景がある。
つまり人間が書けている。
今年は写真に残せませんでした。
今朝改めてつつじの映像を見たら、
バカにきれいに写っているなと、
そして何だか大きな庭に見えるので、肩をすくめています。
本当は小さな庭で植木たちが押し合いへし合いしています。
誤解しませんように・・・。