四万十町 はっちゃん味噌生産者の島岡和子です。
「はっちゃん味噌」
古文書によると、
島岡家は平氏也と記し私で十四代目。
十五代愛直が
都会から我が家に嫁してくれた直子と結婚。
孫の誕生待つこと三年五年八年と、
ついに子供の居ない人生もあるかと
諦めていた矢先「大本営発表」と、
とぼしい夕飯に
おめでたの兆し有りとの事、
皆で歓声と大泣きをしました。
平成十六年十一月十七日色黒の男児誕生。
生まれた時から笑顔ばかりで、
まわりの方々も笑顔で、
部落あげての誕生祝をして頂き、
明くる年五月には家のまわり狭しと
沢山ののぼりとフラフでにぎわいました。
名前を初行と命名、
以来はっちゃんの呼び名になりました。
この可愛い孫のために出来る事は
安全で身体にいい物づくりに
手間暇かけてと力が入りました。
有機無農薬栽培の米、
野菜、みそ、納豆、漬物と
レパートリーも広がり、
二十年余が経ちましたが、
はっちゃん味噌は
彼の誕生から出来たものです。
はっちゃんの誕生は
神様からの贈り物と思って
大切にこの幸福を頂き、
続いて二男周平も
元気いっぱいに頑張っています。
二人の孫のオムツが取れ、
歩き出し、保育園に
小学校中学校まで一緒に暮らし
沢山の喜びや希望元気をもらいました。
高校進学も自ら農業高校を選び、
三年間学んだ教科書と数枚の表彰状を残して、
この春高知大学農学部に入学しました。
本人は居ませんが
赤線を引いたり〇をつけたり
ラインを引いたりの使い古した教科書を
毎日広げて感動したり納得したり、
農作業の時間も少なくなった今を
楽しませてもらっています。
初行もこれからの四年間、
偉い先生方、素晴らしい友達に恵まれて、
ひと回り大きな人間に成長し
心やさしいお嫁さんを見つけて
十七代を継いでほしいと念じています。
こんな幸福を与えて下さったK先生、
改めて感謝でいっぱいです。
支えて下さった沢山の方々にも
お礼を申し上げ本当にありがとうございます。
「はっちゃん味噌」
古文書によると、
島岡家は平氏也と記し私で十四代目。
十五代愛直が
都会から我が家に嫁してくれた直子と結婚。
孫の誕生待つこと三年五年八年と、
ついに子供の居ない人生もあるかと
諦めていた矢先「大本営発表」と、
とぼしい夕飯に
おめでたの兆し有りとの事、
皆で歓声と大泣きをしました。
平成十六年十一月十七日色黒の男児誕生。
生まれた時から笑顔ばかりで、
まわりの方々も笑顔で、
部落あげての誕生祝をして頂き、
明くる年五月には家のまわり狭しと
沢山ののぼりとフラフでにぎわいました。
名前を初行と命名、
以来はっちゃんの呼び名になりました。
この可愛い孫のために出来る事は
安全で身体にいい物づくりに
手間暇かけてと力が入りました。
有機無農薬栽培の米、
野菜、みそ、納豆、漬物と
レパートリーも広がり、
二十年余が経ちましたが、
はっちゃん味噌は
彼の誕生から出来たものです。
(2011年「塩の邑・納豆クラブ」訪問の時の写真)
はっちゃんの誕生は
神様からの贈り物と思って
大切にこの幸福を頂き、
続いて二男周平も
元気いっぱいに頑張っています。
二人の孫のオムツが取れ、
歩き出し、保育園に
小学校中学校まで一緒に暮らし
沢山の喜びや希望元気をもらいました。
高校進学も自ら農業高校を選び、
三年間学んだ教科書と数枚の表彰状を残して、
この春高知大学農学部に入学しました。
本人は居ませんが
赤線を引いたり〇をつけたり
ラインを引いたりの使い古した教科書を
毎日広げて感動したり納得したり、
農作業の時間も少なくなった今を
楽しませてもらっています。
初行もこれからの四年間、
偉い先生方、素晴らしい友達に恵まれて、
ひと回り大きな人間に成長し
心やさしいお嫁さんを見つけて
十七代を継いでほしいと念じています。
こんな幸福を与えて下さったK先生、
改めて感謝でいっぱいです。
支えて下さった沢山の方々にも
お礼を申し上げ本当にありがとうございます。
※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2023年6月号より転載しました。