先週の文化の日に、岩屋寺に行ってきました。
岩屋寺は四国霊場四五番札所のお寺です。ちょうどまん中辺ですね。
岩屋寺は、国道33号線を久万高原町まで登り、役場から左に折れて紅葉の名所面河に続く道の途中にあります。海抜650mの山中に、岩を穿つように寺院が建っています。 駐車場からお寺まで30分ほど山道を歩かないといけません。
私は若いときに家族で88箇所参りをしたにもかかわらず、このお寺に来たことがなく、一度は来てみたいと思っていました。というのは、下の子がまだ1歳の頃で、このお寺と横峰寺とは小さい子連れでは無理ということで、私は子どもと車で待っていたのです。今の若いお父さんなら、子どもを背負ってでも一緒に行ったでしょうにねえ。
春に横峰寺へ行ったので、私にとってはここが最後のお寺になります。
国民宿舎のある古岩屋の辺りは紅葉の綺麗なところ。そこをさらに奥へ来ると、岩屋寺のある七鳥という集落があります。
上から見るとこんな感じの小さな集落です。屋根で見えませんが何カ所か駐車場があります。
集落の中の道を登ってくるとお土産物やさんがありました。行くときはまだ開いていませんでしたが、「やきしょうが」と言うのが気になります。帰りに開いているといいねえ、と話ながら行きました。
そこを抜けると上に仁王像を乗せた石の門があって、ここが参拝道の入り口でした。すでに何組かの参拝客が登っていました。
木々に囲まれた清々しい雰囲気の山道です。
山門。 岩屋寺は火事によって建物と文書などの資料を焼失し、明治以降に再建された建物がほとんどだそうです。この山門は、わずか3ヶ月で建てられたとか。
山門をくぐると、さらに石段が続きます。
後からきたお遍路さんが、「88カ所で、ここが一番の難所じゃ。」と言うのがきこえました。
そうですね。横峰寺は、私が登った道は遍路転がしの登山道でしたが、車でも行けるんです。ここは絶対歩かなければたどり着けませんから。
白装束のお遍路さん。団体客はおらず個人で参拝する人だけでした。
実は団体客と出くわすと大変なんです。まず、添乗員さんが大量の納経帳をもって納経所へ走りますから,それより先に納経所着かなければ大変。書いてもらうのに長い間待たなくてはなりません。ちなみにお四国参りでは御朱印帳とは言わず納経帳といいます。
こんなにのんびりと歩けるのは今だけかもしれません。朝なので行き交うとき「おはようございます。」と挨拶しました。これがまたすがすがしい。
しばらく行くと赤と青の旗で賑やかになってきました。旗には奉納者の住所、氏名、年月日、願い事などが書かれていました。
次に現れたのはおびただしい数のお地蔵様
これにも1体1体住所と名前とが刻まれています。これらは信者たちがそれぞれの願いを書いて奉納したものらしいです。家内安全 学業成就 など一般的な願いもありましたが、病気平癒 とか事業復興とかいうのをみると、切実な問題を抱えてここへお参りに来た人もいるのだなあ、と思いました。それも北海道から九州まで、全国各地から。
またまた赤と青の旗
裏返しに不動明王の字が見えますが、これは岩屋寺の本尊が不動明王だからでしょう。分からないのはのぼりに書かれた日付で、過去のものもあれば、令和五年などというのもあるのです。いったい何の日付なのかな? トラオはこのゾーンを未来が見える道と名付けました。
上の方に建物が見えてきました。
遍照閣 昔は宿坊でしたが、今は建て替えられて研修などに使われる会館になっているそうです。
鋭角に曲がる道を上って行くと正面に岩山が見えてきました。山の斜面で平地が少ないので、いろいろな施設が分散されています。正面に見えるのは納経所でした。
本堂横のモミジが真っ赤です。
何しろ狭い場所なので正面から写すことができません。
こちらが大師堂
88箇所の霊場には本堂のほかに大師堂があります。
お参りに来た皆さんはきちんとお経を最後まで唱え丁寧にお参りをされていますが、私は簡単に手を合わせるだけ。だって、同じ場所に長くいたら密になるでしょ? と都合よく言い訳をしておきます(笑)とにかく四十ウン年か振りに結願成就。おっと、まだ高野山の奥の院に行っていません。ちょうど下の子が寝てしまったのでね。上の娘は小さかったけれど高野山のお参りも済ませてるんですよ。
さて、大師堂の前まで来ると正面の岩全体が見えるのですが
上三つの穴が人の顔のように見えませんか? あの高い所には阿弥陀如来像が安置されているそうです。どうやって?
そして、下の大きく開いた穴(岩屋)にははしごを使って上れるようになっています。
さあ、ここからがプチ冒険。