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あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

心に残る土曜日 2

2017-03-26 22:14:08 | くらし
 前回涙が出そうになったと書きましたが、そのわけは、つい2週間前に母を思い出させる行事があったばかりだったからです。それも土曜日でした。

 松山市にあるキリスト教系の病院ベテル病院。ここには老人のお世話ホームとホスピスとが併設されています。そこで2015年8月から12月までに亡くなった方の召天者追悼記念式が行われ、私と義妹とで参加しました。

 

 駐車場からは母のいた病室が見えました。山の斜面に建てられたこの病院は自然豊かで、山の緑とともにウグイスの声がひびていましたっけ。

 梅が咲いていました。

 こんなさりげないことが母の喜びたっだなあ、この梅を見たら「春が来た」とどんなにか喜んだでしょうに。

 式は病院内にあるチャペルで行われました。母は毎週かかさずここに通って牧師さんのお話を聞いていたそうです。よっぽど心に響いたのでしょう。亡くなる直前に「キリスト教に改宗してよかろか?」と聞いてきたほどです。だからわたしもにわか教徒になって祈り、賛美歌を歌いました。その賛美歌を知っていたのも我ながらすごいと思いましたが。
 看護師長さんが亡くなった方々の名前を呼ばれました。8月だけで50人は越えたでしょうか。そして名前を呼ぶ途中でついに声を詰まらせてしまいました。こんなにもたくさんの人々を見送って・・・過酷なお仕事だと思いました。

 指揮は30分ほどで終わり会場を代えて懇親会が開かれました。席はいくつかに分かれており、私たちはわけのわからないまま指定された席に着きました。
 テーブルには小さな花とお菓子の包み

 

 そして6人の見知らぬもの同士。
 一つイスが空いていましたがだれもくるふうではありません。ほかのテーブルには病院の医師や看護師さんたちが同席して懇談しているというのに。それでもだれともなく身の上話や病院での暮らしを話し出し、共感し合っていたときのこと、あいたイスに「おくれてすみません」と座った人がいて驚きました。
 それは母を担当してくれた看護師さんだったのです。聞けば今日はお休みだったのにこの会に来てくれたのだとか。

 そう、座席が決められていたのは、患者を直接担当した医師や看護師とお話ができるようにと言う配慮だったのです。

 いろいろ思い出をたどっていくと、この病院のスタンスが浮かんできます。つい先日愛媛新聞に「100ミリリットルの点滴」という記事が載りました。そのお話をされたのがこの病院の院長先生だとか。
患者にも家族にも優しい配慮をーそれが病院全体に行き渡っているように思います。記事についてはりんごさんが上手にまとめておられますのでこちらをごらんください。
 ここでは、亡くなる直前まで生きた人間としての母の思いを大切にしてもらったなあと思います。母は昏睡状態に陥る寸前まで自力でトイレに行ったそうです。(もちろん看護師さんの助けを借り手ですが)
 毎週火曜日はチャペルでのお話、各週水曜日に開かれるミニコンサート。毎週木曜日はボランティアの皆さんのお世話でお茶会。どの行事も母は欠かさず出席し、楽しんでいました。お茶会では牧師さんが患者さん同士の、母の作った押し花の作品なども紹介してくれました。その合間にベッドでのリハビリや手芸、陶芸などできることには積極的に参加し、散歩したいと言えば歩けなくてもベランダの花を見につれて行ってくれました。聞くところによると、ベッドのままでも散歩してくれるとか。
 
 そして母を担当したこの看護師さんは、母が亡くなるその日にも私服で駆けつけてくれました。最後のお別れを言いに。こんな優しい人に母はお世話されていたのです。そしてそのことが残されたものの心を軽くしてくれました。多分、参加された人みんなそれを感じたのではないでしょうか。

 いろいろな感動をもらった土曜日。3月最後の土曜日は、トラオの卒園式でした。わたしはウマオとお留守番。聞くところによると、みんな立派だったそうです。園長先生は一人一人の良いところを言って証書をわたしてくれたそうです。卒園アルバムは一人一人違っていて、自分の描いた絵が表紙になっているんだとか。小さな保育園でどの子もみんな大切に育ててもらいました。やんちゃではあるけどいじわるではない、けんかはするけど冷たくはない、そんなよい関係を築いて1年生になります。ばあちゃんのおいわいは



 寿司ケーキです。味はいまいちだったけど、見た目はばっちりね。
 

 
コメント (2)
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