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サザエさん


長谷川町子        姉妹社


「サザエさん」全68巻一気読みという荒行をした。小生はSFファンである。40年以上SFファンをやっている。かなり年季の入ったSFファンだと自分では思っている。だから、なん万光年先の宇宙の果てとか、なんにでも化ける物体Xがぐちょぐちょどろどろしながら南極基地で暴れまわる話しなどを好んで読んでいる。
「サザエさん」は、そんな小生のお好みとは対極にある漫画といえよう。「サザエさん」にはSF的な要素はまったくなかった。日本の(現実の日本、ネット上の仮想空間にある日本でも、あの時が分岐点となって、ありえたかも知れない別の歴史を歩んでいる日本でもない)どこにでもある、ごく普通の家族の物語である。だから、よくいわれているように、この漫画は日本の戦後史を表している。と、いう面も確かにあるが、それよりも磯野家とフク田家のめんめんは。当時の日本の世相思想感情をそのままトレースしているわけではない。当然ながら作者長谷川町子は創作者である。創作者であるからして、作品に自分自身の思想信条を入れる。当然のことである。創作者が自分の思想信条をまったく入れてない創作物はなんの価値もない。この自分の思想信条をいかに作品に入れるか。このあたりは、もう、作者のウデの見せ所である。左端にゼロ右端に百という目盛りがある。ゼロの思想信条を作品に入れる。大多数の読者から総スカンを食らうだろう。ところが一部の読者には大いに受けるだろう。これが百でも同じ。50ならば総スカンは食わないが、大受けもしない。よくいえば万人向け。悪く言えば毒にも薬にもならない。「サザエさん」は目盛り50の漫画だと思っていた。ところが通読してみると、けっこうはっきりと考え方を主張している所もある。発表媒体が朝日新聞ということも考えても、このあたりの長谷川のサジ加減は見事だ。
 この漫画、けっこうブラックなオチも多い。オチのその後、くだんのキャラの命は確実にないのでは思うオチもある。
 感心させられたのは長谷川の絵のうまさ。スクリーントーンなど使わずに、ペン描きの描線だけで、多彩なキャラを表現している。
「サザエさん」テレビのアニメは知らないが、原作は毒も薬もある大河漫画といえる。そうこれは大河漫画なのだ。終戦直後から昭和という大きな河の流れの中にある中州。これが年を取らないサザエさんの家族なのだ。大河は流れているけれど、中州は同じところに静止している。
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