高齢者や環境に優しい交通手段として、路面電車に注目が集まっています。私が住む町でも、先ほど就任した市長が路面電車を県の玄関口であるJRの駅とつなぐという構想を発表して再び注目を集めるようになりました。我が町の路面電車は総延長4.7kmで、全国で最も短いことで知られていますが、隣の県には、路面電車で市街地をくまなく移動することができる「日本一の路面電車」の街があります。
人口118万人の政令指定都市、広島市がその街です。先日、訪ねる機会がありましたので、広島電鉄の路面電車で市街地をめぐってきました。
JR広島駅を出て駅前の広場を歩きます。正面から右側にバスセンターが広がっており、左側に路面電車の乗り場がありました。
広島電鉄の運行系統は8つあり、1号線から9号線(但し4号線はありません)と呼ばれています。広島駅前からは4路線の路面電車が出発していきます。広島駅から紙屋町を経由して広島港に向かう1号線、広島駅から紙屋町電停、土橋電停を経由して西広島駅に向かう2号線、広島駅から比治山の麓を通って広島港に向かう5号線、そして、紙屋町を経由して、土橋電停から江波(えば)に向かう6号線の4系統です。このうち、2号線は西広島から先は、さらに鉄道線で宮島へのフェリー乗り場がある宮島口まで行くことができます。
これは、駅でいただいた路線図です。右上にJR広島駅前、右下に広島港、左の端に西広島駅、その下に宮島口駅が書かれています。私は、この日、西広島駅から右に書かれているすべての路線の路面電車に乗ってみようと思っていました。運賃は、大人150円です。但し、9号線の白島(はくしま)・八丁堀間のみ、100円になっています。
窓口で、「電車1日乗車券」を買って出発しました。600円でした。路面電車が1日乗り放題のきっぷです。乗車時、乗り口のカードリーダーを通し、下車時に、出口のカードリーダーに再度通して降ります。
広島電鉄は、西広島駅から宮島口の鉄道部(宮島線)が16.1km、西広島駅までの軌道部(市内線)がトータルで19.0kmあります。総延長35.1kmで日本一長い路線をもっています。また、年間輸送人員は、5500万人(市内線3780万8千人、宮島線1719万3千人)で、これも日本一となっています。まさに「日本一の路面電車」です。
路面電車の建設は、広島城の壕を埋め立てた後に鉄道を敷設するという特許を得て、明治43(1910)年に、広島電気軌道(広島電鉄の前身)が設立されたことに始まります。大正元(1912)年に、広島駅・紙屋町・御幸橋間と八丁堀・白島間が最初に開業してから30余年後の昭和20(1945)年、舟入本町・舟入南町間が開通して、現在の軌道網がほぼ完成しました。また、広島電気軌道は、その後、広島瓦斯電軌を経て、昭和17(1942)年から現在の広島電鉄の社名になっています。
人口118万人の政令指定都市、広島市がその街です。先日、訪ねる機会がありましたので、広島電鉄の路面電車で市街地をめぐってきました。
JR広島駅を出て駅前の広場を歩きます。正面から右側にバスセンターが広がっており、左側に路面電車の乗り場がありました。
広島電鉄の運行系統は8つあり、1号線から9号線(但し4号線はありません)と呼ばれています。広島駅前からは4路線の路面電車が出発していきます。広島駅から紙屋町を経由して広島港に向かう1号線、広島駅から紙屋町電停、土橋電停を経由して西広島駅に向かう2号線、広島駅から比治山の麓を通って広島港に向かう5号線、そして、紙屋町を経由して、土橋電停から江波(えば)に向かう6号線の4系統です。このうち、2号線は西広島から先は、さらに鉄道線で宮島へのフェリー乗り場がある宮島口まで行くことができます。
これは、駅でいただいた路線図です。右上にJR広島駅前、右下に広島港、左の端に西広島駅、その下に宮島口駅が書かれています。私は、この日、西広島駅から右に書かれているすべての路線の路面電車に乗ってみようと思っていました。運賃は、大人150円です。但し、9号線の白島(はくしま)・八丁堀間のみ、100円になっています。
窓口で、「電車1日乗車券」を買って出発しました。600円でした。路面電車が1日乗り放題のきっぷです。乗車時、乗り口のカードリーダーを通し、下車時に、出口のカードリーダーに再度通して降ります。
広島電鉄は、西広島駅から宮島口の鉄道部(宮島線)が16.1km、西広島駅までの軌道部(市内線)がトータルで19.0kmあります。総延長35.1kmで日本一長い路線をもっています。また、年間輸送人員は、5500万人(市内線3780万8千人、宮島線1719万3千人)で、これも日本一となっています。まさに「日本一の路面電車」です。
路面電車の建設は、広島城の壕を埋め立てた後に鉄道を敷設するという特許を得て、明治43(1910)年に、広島電気軌道(広島電鉄の前身)が設立されたことに始まります。大正元(1912)年に、広島駅・紙屋町・御幸橋間と八丁堀・白島間が最初に開業してから30余年後の昭和20(1945)年、舟入本町・舟入南町間が開通して、現在の軌道網がほぼ完成しました。また、広島電気軌道は、その後、広島瓦斯電軌を経て、昭和17(1942)年から現在の広島電鉄の社名になっています。
まず、5号線の路面電車で広島港に向かいました。単車(1両のボギー車)で車両は800形の801号。昭和58(1983)年に広島電鉄が導入した車両でした。行き先表示には「比治山下 広島港(宇品)」と書かれていました。
座席はほぼ満席、40人ぐらいが乗車しています。平日の通勤時間帯を過ぎていますが、買い物袋をもった方や赤ちゃんを連れた女性、高齢者など多くの方が利用されていました。地図上の最も右の緑のルートで進みます。的場町の電停を南に進み、皆見(みなみ)町六丁目で、西広島駅からやってきた3号線や広島駅からやってきた1号線の路面電車と合流します。その先海岸通りを通って広島港に着きます。路線図の裏に書かれた所要時間は32分でした。
広島港で下車して、ホ-ムから左方向に歩き、広島港宇品(うじな)旅客ターミナルに入ります。
四国松山行きフェリーや高速船、瀬戸内海の島嶼部に向かうフェリーのターミナルでした。
これは、待合室から見たフェリーです。出発を待っていました。
地図の右下の広島港から、上(北)に向かい、皆見町六丁目から左折(西行)して市役所前から紙屋町東電停を経由して、広島駅に向かう1号線の電車です。
車両は、3000形の3004号車。昭和51(1976)年西日本鉄道から購入して3両連接に改造した車両です。昭和29(1954)年から昭和39(1964)年にかけて製造されたものだそうです。広島港駅についたとき、「回送」という表示を出して停車していた車両でした。
3004号車の内部です。3両連接ですが、途中に仕切りがないため広々としています。広島港を出て来た線路を戻ります。そして皆見町六丁目で左折して御幸橋(みゆきばし)を渡ります。
広島電鉄の本社を過ぎて、鷹野橋(たかのばし)電停に着きます。その先は緩やかなS字カーブになっており撮影場所として人気のあるところです。
正面にある「たかのばし商店街」の入り口の右隣にある男女共同参画推進センターの前が、最適の撮影ポイントなのだそうです。鷹野橋電停で下車し参画センターの前の横断陸橋で待機しました。
そのS字カーブを通って、3000形車両が鷹野橋電停に入っていきました。
こちらにやって来たのが、平成12(2000)年に導入された5100形の5104号車。5100形車両は”グリーンムーバマックス”。平成17(2005)年から平成20(2008)年にかけて製造した新しい車両です。国産初の完全超低床車両で、5車体3台車で10編成を保有しています。フロントスタイルが魅力的な車両です。
鷹野橋電停で、広島港をスタートして西広島駅に行く3号線の電車に乗ります。350形の351号車。昭和33(1958)年に導入した車両です。写真は、西広島駅に到着したときに撮影したものです。乗車した351号車は紙屋町西電停から西に向かい、十日市町電停で左折、さらに土橋で右折して進みます。27分ぐらいで西広島駅に着きました。
到着した西広島駅の5番ホームは、行き止まりのターミナル式になっていました。右の2番、3番線は、さらに西の宮島口に向かって延びていました。
駅舎の隅に、西広島駅から東に向かって出発していく電車のため、信号機が設置されていました。
ホームの全景です。降車した5番ホームは、紙屋町西電停で右折して、広島港に向かう3号線の電車のホームです。
5000形の5005号車。宮島口方面行きの電車です。平成11(1999)年導入した車両で、平成11(1999)年から平成14(2002)年にかけて、ドイツのシーメンス車が製造したものです。初めての超低床車両で、広島電鉄は5車体3台車12編成を所有しています。
宮島線の主力車両である3800形の3809号車です。昭和62(1987)年から平成元(1989)年にかけて導入されました。
広島電鉄の隣にはJR西広島駅がありました。どちらの西広島駅も、かつては己斐(こい)駅と呼ばれていました。
私はここから土橋電停に引き返し、その後、南の江波駅に向かいます。江波駅からは、再度引き返して北の横川駅に行くつもりでした。
さて、西広島駅から引き返します。ここから広島駅に向かう2号線の5000形の5004号車。女性の運転士の操縦でした。中に入ると、車掌も女性でした。広島電鉄は連接車には車掌が乗務されています。最近はJRの列車も2両編成なら、ワンマン運転になっていますが・・・。案内だけでなく、両替への対応、”PASPY”の販売などにも対応しています。
5004号車の内部です。横シートではなく、一人席のクロスシートの部分もありました。ただ、バリアフリーで通路は広く取ってありました。途中の、観音町電停・天満町電停・小網町電停の区間は、道路の幅員が狭いところでした。
これは、天満町電停です。安全地帯の幅が狭く窮屈な空間になっています。
天満町電停を越えると天満橋です。ここは車両通行止めなっています。そのため、天満橋は広島電鉄の専用軌道になっていました。
この駅は、天満橋を渡って東側にある小網町電停です。ここは広島電鉄で唯一安全地帯がない電停です。道路に青く見える部分で電車を待つのでしょうね。
西広島駅から10分ぐらいで、土橋電停に着きました。江波行きの電車が待っていました。800形803号。広島電鉄で最も新しく開業した江波線です。舟入町を進み、15分ぐらいで江波駅に着きました。
江波駅で下車します。電車はさらにその先にある引き込み線へ入って停車しました。乗ってきた803号車です。昭和58(1983)年に導入された電車で、広島電鉄は14両保有しています。
803号車の隣に停車していた電車が動き始めました。広島電鉄で最も新しい、平成25(2013)年に導入された1000形の1001号車です。1002号車と2両あり、1001号車がピッコロ、1002号車がピッコラと名づけられていました。
3車体連接2台車の超低床車のピッコロの運転席です。江波駅から土橋まで引き返し、その後は十日市町駅から横川駅に向かう8号線を進みます。
25分ぐらいで、横川駅に着きました。線路は行き止まりです。その先はすぐJR横川駅です。すぐに、折り返しのピッコロで十日市町電停に引き返します。ピッコロは、今度は、JR横川駅から十日市町・紙屋町西電停を経由して広島電鉄の本社に向かう7号線の電車になっていました。
十日市町電停から2つめが原爆ドーム前電停です。元安川にかかる相生橋を渡ってすぐ下車しました。ここは、原爆ドームを背景にした路面電車の撮影スポットとして知られています。少し引き返して、相生橋の上から撮影しました。ドイツ製の5005号車です。 路面電車が走る相生通りをはさんだ北側には、広島カープの本拠地、旧広島市民球場がありました。今は主役をマツダスタジアムに譲って、ライト席の一部を除いてその姿を消しています。
原爆ドーム前駅から再度2号線の路面電車に乗って八丁堀電停に向かいます。そこから、白島(はくしま)に向かう9号線に乗り換えるつもりでした。
原爆ドーム前電停から、7分程度で八丁堀電停に着きました。ここで乗り換えます。9号線の914号車が待っていました。昭和32(1957)年の製造。大阪市交通局から、昭和44(1969)年に購入した車両です。女学院前、縮景園前、家庭裁判所前に停車して、7分ぐらいで白島電停に着きました。ここが終点です。すぐに、折り返して八丁堀まで戻ります。9号線を走る914号車は、白島・八丁堀間を往復していました。
八丁堀で広島駅方面に向かう2号線で、胡(えびす)町から2駅目の銀山(かなやま)町電停に着きます。これは、銀山町電停と胡町電停の間にある横断陸橋の上から撮影した、銀山町電停です。国産の超低床車両の5104号車が停車していました。これは、紙屋町東電停から広島港に向かう1号線の電車です。
横断陸橋から振り返って胡町電停方面を撮影しました。胡町電停と八丁堀電停に停車した電車です。この両電停の間は123mで広島電鉄の最短区間です。交差点をはさんで両側に電停が設置されていました。胡町電停には1号線の3701号車、八丁堀電停には、1001号車か1002号車(確認を忘れました!)が停車していました。
銀山町駅から2号線の電車に乗車。スタート地点の広島駅前に戻りました。西広島駅から東の路面電車の線路全線を乗車した、所要5時間の旅でした。
広島電鉄はたくさんの変化に富んだ車両を保有しています。これまで出てきた車両以外にも、話題性のある車両があります。これは、原爆ドーム前電停にいた750形768号車です。昭和44(1969)年大阪市交通局から購入した車両です。派手なアクションがウリだった「西部警察」で、広島電鉄宮島口駅構内で爆破された750形車両の仲間です。この日は3号線で西広島駅に向かっていました。
3号線で西広島に向かっていた1900形1910号車。昭和32(1957)年製造。昭和53(1978)年京都市交通局から15両購入しました。そのとき市民に愛称を募集しましたが、この1910号車はその中の「金閣」の愛称をつけています。
広島駅前にいた3900形3901号車です。3800形とよく似ています。1990年から1996年にかけて製造されました。3両連接車で8編成が在籍しています。宮島線の主力車両だそうです。
これは西広島駅で休憩していた3950形3954号車。平成9(1997)年に3900形のモデルチェンジとして製造されました。”グリンライナー”と呼ばれるように鮮やかな緑の美しい車両です。
残念だったことがただ一つ。原爆が投下された昭和20(1945)年8月6日、市内を走っていた路面電車も被爆しました。110両のうち4割が「全壊」「大破」し、終戦の時点で稼働できる電車はわずか3両しかなかったそうです。現在、この「被爆電車」のうち651号車と652号車が現役で活躍しているようです。
どこかで会えないかと注視していましたが、結局見つけることができなくて、ほんとに残念でした。
広島電鉄は、広島市街地をゆったりと走っています。平日のラッシュアワーを過ぎた時間でしたが、高齢者や乳児を連れた若いお母さん、障がいのある方も含めてたくさんの乗客に利用されています。座席はどれもほぼ満席。多くの電車で立っておられる乗客がいました。市民にこれだけ愛されている広島電鉄の路面電車の魅力とは?
1 安全運行に徹していること
市街地を走っているだけに、信号ごとに停車することもたびたびありますが、運転士の方の「信号よし!」 の声に、思わず「ゆっくりでいいよ」と思ってしまいます。
2 運賃は一律150円(白島・八丁堀間は100円)。これで30分も乗ることができるのは、奇跡的といっ ていい、まさに快挙だと思います。
3 高齢者にやさしい電車になっていること
連接車には車掌も乗務しています。高齢者のもとまで足を運び乗客の支援にあたるやさしい電車になってい ます。
4 個性的な車両や最先端の新型車両に乗ることができること
他社からやってきたレトロな車両や超低床車両などのモダンな車両にも乗れて、実に楽しい時間です。
6号線や8号線の舟入南町の電停に近い広島商業高校出身で、広島カープの選手、監督として活躍した達川光男さんが、ある雑誌の企画の中で「広島では広電の走っていない景色は考えられないんじゃ。これは広島市民だったら誰でも同じなんじゃないのかのぉ」と語っておられるように、広島電鉄は広島市民にとって欠かすことができない存在になっています。
「日本一の路面電車」の名に恥じない、すごい電車だと感じた一日でした。
1 安全運行に徹していること
市街地を走っているだけに、信号ごとに停車することもたびたびありますが、運転士の方の「信号よし!」 の声に、思わず「ゆっくりでいいよ」と思ってしまいます。
2 運賃は一律150円(白島・八丁堀間は100円)。これで30分も乗ることができるのは、奇跡的といっ ていい、まさに快挙だと思います。
3 高齢者にやさしい電車になっていること
連接車には車掌も乗務しています。高齢者のもとまで足を運び乗客の支援にあたるやさしい電車になってい ます。
4 個性的な車両や最先端の新型車両に乗ることができること
他社からやってきたレトロな車両や超低床車両などのモダンな車両にも乗れて、実に楽しい時間です。
6号線や8号線の舟入南町の電停に近い広島商業高校出身で、広島カープの選手、監督として活躍した達川光男さんが、ある雑誌の企画の中で「広島では広電の走っていない景色は考えられないんじゃ。これは広島市民だったら誰でも同じなんじゃないのかのぉ」と語っておられるように、広島電鉄は広島市民にとって欠かすことができない存在になっています。
「日本一の路面電車」の名に恥じない、すごい電車だと感じた一日でした。
車庫見学をすべきだったと思います
あと、宮島線に乗らなかったのはなぜでしょう?