トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

JR因美線土師駅に行ってきました

2019年02月16日 | 日記

これは、JR因美線の美作加茂駅の駅舎に飾ってあった急行”砂丘”の写真です。山陽本線の岡山駅と山陰本線の鳥取駅間を結んでいる津山線・因美線を走っていた花形列車でした。平成6(1994)年に智頭急行が開業するまで、津山線・因美線は山陽と山陰を結ぶメインルートでした。

津山線から因美線への乗り継ぎ駅である津山駅にあった運賃表の一部です。この日使用したきっぷは、JR西日本岡山支社管内の一日乗り放題きっぷである「吉備之国 くまなくおでかけパス」でした。乗り放題ができるのは岡山支社管内だけであり、津山線・因美線では、土師(はじ)駅まで使用できます。そんな理由で、土師駅を訪ねてみることにしました。因美線から感じる山間のローカル線の雰囲気に惹かれ、美作滝尾駅(「JR因美線の登録有形文化財の駅、JR美作滝尾駅」2011年5月14日の日記)、知和駅(「JR因美線の秘境駅、知和駅」2014年4月24日の日記)、美作河井駅(「転車台が出てきた岡山県境の駅、JR美作河井駅」2012年7月13日の日記)、那岐駅(「改札口から続く急な階段のある駅、JR那岐駅」2017年10月27日の日記)は、すでに訪ねて来ました。

津山駅発の因美線の時刻表です。鳥取駅まで直通する列車はなく、智頭駅行きの列車が7本、美作加茂駅行きの列車が3本設定されています。この日は、11時35分発の列車に乗車しました。早朝の6時42分発の列車から約5時間後に発車する、次の列車でした。

因美線の列車が発着する1番ホームに、智頭駅行きの列車が入線してきました。キハ120330号車、単行のワンマン運転のデーィゼルカーです。因美線は、大正8(1919)年に鳥取駅と用瀬駅間が、因美軽便線として開通したことに始まります。その後、因美線と改称され、大正12(1923)年には智頭駅まで延伸しました。そして、昭和3(1928)年には因美北線に改称されました。一方、津山駅側からは、昭和3(1928)年に因美南線として美作加茂駅までが開業し、昭和6(1931)年には美作河井駅まで延伸しました。 津山駅で6人の方が乗車されて、智頭駅行きのワンマン列車が出発しました。

因美線で最長の物見トンネル(3077m)が近づいて来ました。岡山県と鳥取県の県境にあるトンネルで、抜けると鳥取県。鳥取県の最初の駅、那岐駅に向かって進みます。 智頭駅まで開業していた因美北線は、昭和7(1932)年、智頭駅からさらに美作河井駅まで延伸し、因美線は全通することになりました。このとき、那岐駅とめざす土師駅とが開業しました。因美北線は、全通すると因美南線を吸収し、全線を因美線に再度改称しました。

乗客は10人ぐらいになっていました。やがて、右側に1面1線の土師駅が見えてきました。津山駅から約1時間ぐらいで土師駅に到着しました。

土師駅は、鳥取県八頭郡智頭町三吉にあります。那岐駅から2.9km、次の智頭駅まで3.7kmのところにありました。

「吉備之国 くまなくおでかけパス」を運転士さんに見せて下車しました。下車したのは1人だけで、列車はすぐに、次の終着駅智頭駅に向かって出発していきました。

智頭駅方面に向かってホームを歩きます。駅名標の脇には、近くの民家が接しています。土師駅は、昭和7(1932)年に、智頭駅から美作河井駅間が開業したときに開業しました。土師駅は、当時の鳥取県八頭郡土師村の最寄駅として設置された駅で、開業当初から1面1線の駅だったようです。

民家とホームの境には清水が流れる小さな川があります。その先は民家の下に入って行くようです。

ホームの智頭駅側から見た那岐駅方面です。越えてきた中国山地が遠くに見えます。

ホームへの入口付近にあった枕木の柵です。かつての駅にはおなじみの光景ですが、最近は都市の駅からは消えてしまいました。土師駅に残っていた懐かしい光景です。

ホームの真ん中あたりに、老朽化した駅舎が解体された後につくられた、待合室がありました。ホームへの入口と、駅前広場が見えます。

待合室の内部です。両側に4脚のベンチが置かれ、時刻表と運賃表が掲示してあるだけの簡素なつくりでした。地元の方のご尽力でしょう、プランターに植えられていたお花が、潤いを与えてくれていました。

ホームの那岐駅寄りの先端です。切り欠きのホームの先に、レール跡の名残りが残っていました。八頭郡土師村は、明治36(1903)年に旧八頭郡中田村が「土師村」と改称されて生まれました。伝統的に林業が盛んな地域だったようです。

特産の木材の積み出し駅だった頃には、ここで貨車への積み下ろしが行われていたそうです。ホームに上がる石段も残っていました。

待合室の脇から駅前広場に出ます。八頭郡土師村は、その後、昭和10(1935)年に同じ八頭郡の山形村、那岐村とともに智頭町に編入され、八頭郡智頭町の一部になりました。

駅前の那岐寄りにつくられていた自転車の駐輪場です。広い敷地がかつての繁栄の様子を伝えてくれています。

駅前の通りです。岡山県津山市に向かう備前街道の津山方面です。土師駅の東には「埴師」という地名が残っています。「土師」という地名は「はにし」が変化したもので、古代に、土器や埴輪の製作をしていた人々が居住していたところに多く分布しています。古くから開けた、長い歴史のある地域だったと思われます。

駅の外側から駅舎跡を撮影しました。待合室が小さく見えています。

因美線の智頭駅方面の集落です。その脇を因美線の線路が北に向かって延びていました。

中国山地を越えた鳥取県にある土師駅を訪ねて来ました。この日は、帰りに美作加茂駅も訪ねることにしていましたので、土師駅での滞在は、乗車してきた列車が、智頭駅から折り返してくるまでの30分余りの短い時間でした。もっと見どころがあったのに見落としてしまったかもわかりませんが、中国山地の山間の農山村の雰囲気を味わうことができました。



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