トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

”レトロ電車”を追って琴平線に乗る

2015年07月24日 | 日記
このところ、香川県高松市を走る”ことでん”、高松琴平電鉄を訪ねています。すでに、志度線(「高松琴平電鉄 志度線を行く」2015年7月4日の日記)と長尾線(「日本で3番目のICカード ”ことでん”」2015年7月12日の日記)に乗りました。この日は、”ことでん”の本線ともいうべき琴平線に乗ることにしていました。長尾線と志度線は軌道線からスタートしましたが、琴平線は地方鉄道線としての開業でした。関西の鉄道を視察してから開業したそうで、当時から軌間1435ミリで、「四国の阪急」とも呼ばれたモダンな鉄道だったようです。

この案内は、”ことでん”のホームや駅に掲示されている”レトロ電車”の運行案内です。毎月1回運転している”レトロ電車”、7月は19日(日)に運転することになっています。

7月19日、岡山県のJR児島駅からマリンライナーで瀬戸内海を越えて、高松駅前にある琴電高松築港駅に着きました。出札窓口で”一日フリーきっぷ(1230円)”を購入して改札をくぐりました。

”一日フリーきっぷ”です。琴電高松築港駅から終点の琴電琴平駅までの片道運賃は620円、往復すると1240円です。”1日フリーきっぷ”はそれより10円安く、しかも、志度線や長尾線にも乗ることができます。お買い得です。きっぷに載っている電車は、20形23号車。この電車が、この日走る”レトロ電車”の主役です。

たくさんの乗客が待つホームに、”レトロ電車”は回送列車として入線してきました。5000形500号車と20形23号車の2両錬成の電車です。500号車は、昭和3(1928)年3月に加藤車両で3両(他に510号車と520号車)製造されたものの1両で、”ことでん”のオリジナル車両です。今年で87歳を超え、米寿のお祝いをする日も近くなってきました。

折り返して琴平行きの先頭車両になる20形23号車です。昭和36(1961)年に近鉄から移ってきました。製造されたのは、大正14(1925)年10月。川崎造船で製造されました。10月で90歳を迎えます。2015年の4月に、90歳を記念して”ことでんカラー”(ファンタゴンレッドとオパールホワイト)に塗装し直されているそうです。

先頭車両になるので、乗務員の方が行先表示を変更しておられます。

「祝 90年 卒寿」のプレートが掛けられています。”ことでん”の皆さんのお心遣いです。新しく塗装がなされているので、90歳には見えませんね。

待っていた乗客はすでに乗車されました。すると、窓が次々に開けられました。全列車に冷房が完備されている”ことでん”ですが、”レトロ電車”には冷房がついていないからです。

ここからは、終点の琴電琴平駅で、折り返しの出発時間まで休憩していた”レトロ電車”の写真になります。高松築港駅では乗客がどんどん乗り込んで行かれたので、内部の撮影ができませんでした。まず、5000形500号車です。

500号車の運転席。路面電車のような印象です。

500号車の緑色の横シートの座席です。サービスのためでしょう、開けてくださっていた窓から撮影しました。

こちらは、20形23号車です。

23号車の運転席です。

23号車の横シートの座席です。

さて、再び高松築港駅に戻ります。”レトロ電車”は、定時に琴電琴平駅に向けて出発していきました。帽子を取って見守る少年に見送られながら・・。

折り返して琴電琴平行きになる電車が入ってきました。1086号車と1085号車の2両編成。琴平線の電車は2両の固定編成で、車両番号は連番で、琴平方面に行く先頭車両が奇数番になっています。1080形の電車は、もと京浜急行1000形車両で、6編成12両が”ことでん”に移籍しています。1086号車・1085号車は、平成元(1988)年に”ことでん”仕様に改造されました。

女性の運転士さんでした。私は、この電車で”レトロ電車”を追いかけることにしました。さて、”ことでん”琴平線は、大正15(1926)年に、当時の琴平電鉄によって、栗林公園駅と滝宮間が開業しました。また、昭和2(1927)年には、現在の瓦町駅と琴電琴平駅まで延伸されました。昭和18(1943)年には、琴平電鉄は讃岐電鉄(志度線の経営母体)、高松電気軌道(長尾線の経営母体)と合併し高松琴平電鉄となりました。そして、戦後の昭和23(1948)年、現在の琴電高松築港駅まで延伸開業されました。現在の”ことでん”の路線が全通しました。

栗林公園駅に着きました。”ことでん”が開業したときの始発駅でした。木の香りのするような新しい駅です。平成16(2004)年に再建された駅舎です。

駅スタッフがおられる有人駅でした。全国に知られた”栗林公園”の最寄駅です。コンパクトで清潔な駅でした。

駅を出ると紫雲山(しうんざん)の山容が見えます。その手前に栗林公園があります。

このとき、緑の長尾線の電車が通過していきました。長尾線には車庫がなく、この先の仏生山駅に隣接する仏生山の車庫まで回送されているところです。

続いて、「しあわせさん こんぴらさん」のパッケージ車両(1206号車・1205号車)が出発していきました。この車両は旧京浜急行700形で、平成16(2014)年に”ことでん”仕様に改造されました。”こんぴらさん”に参詣する人は多く、戦前には、琴平電鉄のほか、丸亀(戦後坂出まで延伸)からの琴平参宮電鉄と、坂出からの琴平急行電鉄(戦後琴平参宮電鉄に吸収される)の三社の電車が覇を競っていました。

栗林公園駅にあった時刻表です。琴平線は琴電琴平行きが30分ごとに運行され、その間に区間運転の一宮行きと滝宮行きが1本ずつ運行されています。

栗林駅から見た琴平方面の線路です。高松築港駅からここまでは複線区間でしたが、この先は単線区間になります。

三条駅、太田駅を過ぎると、左側に引き込み線が見えました。仏生山(ぶっしょうざん)駅に着きました。長尾線と琴平線の車庫と工場があるところです。

高松藩松平氏の菩提寺、仏生山法然寺の最寄駅です。駅前から車庫と工場を一回りします。本日運行されている23号車と500号車以外の”レトロ電車”が休んでいるはずでした。

駅の正門から10mぐらいのところに”レトロ電車”が・・。一回りしなくてもあっけなく見つかりました。1000形120号車が道路のすぐそばで休んでいました。この車両は、琴平線の開業に備えて、大正15(1926)年10月、汽車会社で製造した、”ことでん”のオリジナル車両です。

5両(100号車、110号車、120号車、130号車、140号車)製造されましたが、そのうちの1両、120号車です。当時の地方鉄道としてはぜいたくな車両だったそうです。

120号車の後ろに連結されていた、3000形300号車です。これも、大正15(1926)年10月に製造された”ことでん”のオリジナル車両で、日本車輌で5両(300号車、315号車、325号車、335号車、345号車)製造されたものの1両です。この120号車と300号車は、イベント用として活躍しています。次回の”レトロ電車”の企画では、ぜひ走ってほしいと願っています。

ホームに近いレール上で出番を待っていた現役車両です。奥が栗林公園駅を走っていた1206号車と1205号車。手前が1100形の1108号車と1107号車です。1100形はもと京王電鉄の5000形。”ことでん”には4編成8両が移って来ています。「目鼻立ちの整った、彫りの深い美顔」と讃えられる、デザイン性に優れた名車として知られています。なお、京王電鉄は軌間1372ミリ、”ことでん”と京浜急行は軌間1453ミリ。”京王5000形が移ってきたとき、”ことでん”では、京浜急行の台車の上に京王電鉄の車両を載せて整備したといわれています。

仏生山駅を出ると、畑や水田が見える地域を走るようになりました。仏生山駅の次の駅は空港通り駅。平成18(2006)年に開業した、比較的新しい駅です。ここから、前面に富士山形のなだらかな山を見ながら進みます。山の名前はよくわかりませんでした。とりあえず、「おにぎり山」と呼ぶようにしました。

電車は前面のおにぎり山に向かって走ります。2面3線の一宮駅につきました。一宮駅は区間運転の終起点になる駅で、ここで折り返す電車は、左の3番線に入り、そこから出発していきます。

駅舎を外から撮影しました。白を基調にした駅舎です。

一宮駅は、名前通り、讃岐一宮の田村神社の最寄駅です。これは駅舎の脇にあった案内図ですが、小さくて見にくいのですが、中央部に田村神社が描かれています。

一宮駅から円座駅。そしてさらに進むと、左側に一見湖のような大きな池、奈良須池が見えてきました。対岸の建物が小さく見えます。

奈良須池の岸辺にある岡本駅です。「途中下車指定駅」の看板が駅にありました。”ことでん”は指定駅では途中下車が可能になっています。

岡本駅の先で高松市から綾歌郡綾川町に入ります。次は、挿頭丘(かざしがおか)駅です。山を切り開いた切り通しにある1面1線の棒状駅です。駅へは階段を下ってホームに入っていきます。

ちょうど琴平方面行きの電車が入ってきました。1202号車と1202号車。もと京浜急行の700形。平成15(2003)年”ことでん”仕様に改造されました。挿頭丘駅から次の畑田駅間は0.8km。琴平線の最短区間です。

畑田(はただ)駅、陶(すえ)駅を過ぎると、次は綾川駅です。長い歴史をもつ琴平線の駅とは思えないような、近代的な雰囲気の駅です。琴平線で最も新しく、平成25(2013)年に開業しました。

駅の裏には”イオンモール綾川”が。大型ショッピングモールが建っています。たくさんの若い人が下車して、建物に向かって歩いていきます。

綾川駅の前には、一戸建ての新しい住宅団地が広がっています。”ことでん”の将来の駅の姿を想像させてくれるような駅でした。

この駅にいるとき、琴電琴平駅から折り返してきた”レトロ電車”が帰ってきました。先頭の500号車です。

2両編成の後ろ側になった23号車です。卒寿とは思えないしっかりとした足取りで走っていました。

綾川駅の次の駅は滝宮(たきのみや)駅です。この駅付近が、綾川町の役場も置かれている綾歌郡綾川町の中心地です。雰囲気のある駅舎でした。それもそのはず、大正15(1926)年、琴平線が栗林公園駅と滝宮駅の間で開業したときの終点になった駅舎だったのです。この駅舎は開業前に、初代社長が関西の私鉄を視察してデザインされたもので、急勾配の三角屋根と玄関のひさしが末広がりになっているところに特色があります。なお、現在の終点である琴電琴平駅まで延伸したのは、昭和2(1927)年3月15日のことでした。

有人駅ですが、この時間には「駅スタッフは不在」という案内が出ていました。駅舎の内部です。出札口もそのまま残っていました。また、建設当初には、駅舎の柱と柱の間をモルタル塗りにしていたようです。大正期の洋風の木造建築様式を今に伝えています。

駅舎の中にあった、経済産業省の「近代化産業遺産」のプレート。平成20(2008)年に認定されました。

駅にあった説明によれば、綾川町はさぬきうどん発祥の地なのだそうです。弘法大師、空海の甥で弟子でもあった智泉がこの地でうどんをつくったのがさぬきうどんの始まりだそうです。そのため、昔からうどんに使われる小麦を栽培していた地域で、今も県のブランド小麦である「さぬきの夢2000」の小麦畑が広がっているそうです。

駅周辺を歩きます。念仏踊りで知られる滝宮天満宮の参道とその先の拝殿です。天満宮の名のとおり、菅原道真をお祀りしています。駅から5分ぐらいのところに鎮座していました。

これも駅から5分ぐらいのところにあった綾川町役場の庁舎です。

滝宮駅のホームです。この駅も、高松築港との間で区間運転を行う、電車の終点と起点になっています。滝宮駅行きの電車は向こう側の2番ホームに入って、折り返して高松築港行きとして出発して行きます。琴電琴平駅と高松築港駅間を走る電車は、すべて手前の1番ホームを通ることになっています。

滝宮駅の次の羽床(はゆか)駅までが綾歌郡綾川町にある駅です。国道32号の新線に接している、この栗熊(くりくま)駅からは、丸亀市になります。

栗熊駅前の風景です。緑一色の田園地帯です。田舎育ちの私は、こういった風景に出会うと思わず深呼吸をしてしまいます。次の岡田駅までは2.6km。円座駅・岡本駅間と並ぶ最長区間になっています。

岡田駅に着きました。1204号車と1203号車の高松築港行きの電車とすれ違いました。この駅までが丸亀市に属しています。

次の羽間(はざま)駅です。駅付近は仲多度郡まんのう町になります。黄色がシンボルカラーの琴平線です。駅名表示も黄色で統一されています。

榎内(えない)駅からは仲多度郡琴平町になります。琴電琴平駅の手前にあったJR土讃線との立体交差です。この写真は、琴電琴平駅から引き返す時に、電車の前方から撮影したものです。絶好のタイミングで、JR四国の普通列車とすれ違いました。

”ことでん”のイベント電車として、動態保存されている”レトロ電車”。私たちよりずいぶんお年を召しておられますが、まだ、こうして走ることができます。冷房をつけることができないため、第一線で活躍することはできませんが、イベント電車として、活躍の場を与えられているのは嬉しいことです。整備にあたる人たちの技術力と会社のご理解に感謝です。
次回、8月の運行日にも訪れたいと思いました。



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