トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

ホームに巨大くすの木がそびえる京阪電鉄萱島駅

2015年08月05日 | 日記

複々線の線路の先に、駅のホームが見えます。向かって左側のホームの屋根の上に大木がありますが、この大木は屋根を突き抜けているようです。

この駅は京阪電鉄の萱島(かやしま)駅。大木はくすの木で、ホームとその上の屋根を突き抜けてそびえています。

この日、寝屋川市にある京阪電鉄萱島駅を訪ねるため、堂島川に沿った大江橋駅に向かいました。

ホームに降りると、すぐに萱島駅行きの上り普通列車がやってきました。

天満橋の先で地上に出て複々線となり京橋駅に着きます。

大江橋駅から20分ぐらいで、めざす萱島駅に着きました。複々線区間の東端の駅(萱島駅の先にある寝屋川信号所までが複々線だそうです)になっています。淀屋橋駅・中之島駅行きの下り電車が発着するホームに、大きなくすの木が見えました。

これは、ホームから見えた寝屋川です。市の名前にもなっています。萱島駅の下を流れています。萱島駅は、明治43(1910)年4月15日、京阪本線の天満橋駅と五条(現在の清水五条)駅間が開通した時に開業しました。しかし、駅名に「萱島」と「島」がついていることに、少し違和感を感じていました。

これは、周辺を歩いていたときに見た掲示板にあった写真です。樹木が手前にあって見にくいのですが、以前このあたりを流れていた寝屋川の写真です。寝屋川の中に島が見えました。どうやら、萱や葦が生えていた中州(島)を開拓して耕地をつくったことから「萱島」と名付けられたようですね。

やがて、次の出町柳行きの上り普通電車(「各駅停車」と放送されていました)が到着しました。7両編成の先頭の9001号車です。9000系車両は平成9(1997)年にデビューした特急用車両でした。現在は急行用に使用されているそうですが、このときは普通電車での運用でした。

京都方面に向かう1番2番ホームから見えたくすの木です。ホームの階段の向こうにくすの木の幹が見えます。萱島駅は2面4線の駅でした。

1番2番ホームの中央部から撮影しました。屋根の上にくすの木がありました。高さ、約20m、周囲、約7m、樹齢、約700年という大きなくすの木です。京阪電車は、もともと地平を走っていました。この地域は昭和40(1965)年頃から住宅が増加して、人口増加に伴う輸送力の増強のため、京阪電鉄では、天満橋駅・萱島駅間の高架複々線化を、昭和46(1971)年から10年間を掛けて進めることになりました。そのとき、ホームの予定地にあったこのくすの木は、地元の強い要望を受けた京阪電鉄の英断により、伐採されることなく、萱島駅と共存することになったのです。

階段をおりて、3番4番ホームに向かいます。エスカレーターの脇にくすの木はありました。くすの木を囲うコンクリートの手すりがつくられていますが、そこに飾られていたのが、「昭和58(1983)年 第3回 大阪都市景観建築賞」の「奨励賞」のプレートでした。停車中の車両は2400系の7両編成の2554号車です。2400系は、通勤電車で最初に冷房を設置した車両として知られています。昭和44(1969)年から運行が始まりました。

これが、掲示されていた「都市建築賞」の「奨励賞」のプレートです。「京阪電車萱島駅 設計 京阪電気鉄道(株)建設部」へ向けて、「周辺環境の向上に資し、かつ景観上優れたものと認められたのでこれを賞します」と書かれていました。巨大くすの木が与えてくれる緑と安らぎが、評価されたのでしょう。

3番4番ホームです。ホームが広々としています。くすの木と共存しているからでしょうか。

くすの木がそびえているところにはもちろん屋根はありません。近くに行くと、実際に吹いているのかどうかわかりませんが、風を感じます。

駅周辺を一回りすることにしました。大阪方面の1階にある改札口(西出口)から外へ出ました。そして、駅の北側を東(京都方面)に向かって歩きます。

駅の下を流れる寝屋川に架かる橋を渡ります。この橋は歩道の「流作(りゅうさく)小橋」です。この駅付近は、江戸時代中頃までは、萱や葦が生い茂る中州でしたが、その後この中州は開発され「萱島流作新田」と呼ばれるようになります。そんな歴史に因んで、萱島駅の北側の橋は「流作橋」、南側の橋は「萱島橋」と名付けられています。

京阪電鉄の高架下の東(京都方面)側にも改札口がつくられています。

駅の南側から見た萱島駅です。手前にあるのは、「太陽電池時計」です。高雄市国際獅子会と寝屋川中央ライオンズクラブの連名の碑が建てられていました。日本と台湾のライオンズクラブの寄付によって設置されたものなのでしょうね。

ホームのくすの木が見えてきました。高架下に鳥居が見えます。神社があるようです。

その先にあった「大阪みどりの百選 萱島駅の大樹」と彫られている石碑です。大きなくすの木と近代建築の組み合わせが評価されて、大阪花博の時につくられました。このほか、萱島駅は「近畿の駅 百選」にも選定されています。

「大阪みどりの百選」の石碑のすぐ隣に立っていた「萱島神社」の社標です。

参道の左側にあった「鉢かつぎ姫」(お伽草子)をモチーフにした「くすの木」の説明です。この巨大くすの木は、萱や葦が生い茂っていた頃から、この地域の方々の生活を見守って来ました。

高架下までの短い参道ですが、白い狛犬が守っています。

拝殿です。「2拝2拍手1拝」の作法でお詣りしました。祭神は「萱島開拓の祖神」である神田氏の祖先と書かれていました。神田氏に因むのでしょうか、「下神田(しもかみた)町」という地名が駅の近くにありました。

拝殿の隣に並んでいた「大楠大明神」。こちらは巨大くすの木が祭神です。注連縄が飾ってあります。

その前に置かれていた「繁栄の砂」です。このくすの木は、神の依代(よりしろ)として崇められ、豊かな繁栄と安らぎをこの地の人々に与えてきました。それにあやかって「この砂で住まいの周囲を浄めなさい」というものでした。毎月1日に置かれているそうです。300円を賽銭箱に入れて、一ついただいて帰りました。

大楠大明神の脇に回って、大クスの根元を見せてもらいました。ここから、高さ約20m。2階のホームの屋根を抜けています。

こうして、萱島駅は、昭和52(1977)年7月24日からくすの木がそびえる駅になりました。

ホームの屋根を貫く樹木のある駅を見るのは、生まれて初めてのことでした。萱島駅のほかにもこんな駅があるのでしょうか?
萱島の歴史を見届けてきた巨大くすの木は、今もこの地の人々や京阪電鉄を利用される人々を、温かく見守っています。





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1 コメント

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初めまして (よっくん)
2015-10-22 18:39:37
 先ほどRSKのニュースで「水江の渡し」が廃止されるというのを見て検索し、貴サイトにたどり着きました。

 倉敷市在住の500代会社員で、テツやっております。

 いろいろ拝見させて頂いたら、京阪萱嶋駅の記事を見つけました。
 この駅、自分は小学生時代の最寄り駅で、昭和40年代当時は地上駅で、クスノキも、プラットフォームの外側にありました。
 高架後に1回だけ訪れたこともありますが、懐かしい気持ちになりました。

 自分もテツ関係のサイトをやっておりますので、宜しかったら訪問よろしくお願いします。
 
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