トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

美しい風景とインクライン跡に会える”秘境駅”、JR鎧駅

2018年11月05日 | 日記

リアス式海岸にある兵庫県西北部の波静かな入り江と、鎧(よろい)漁港が見えます。JR山陰本線鎧駅の海側のホームの先から見た眼下の光景です。この雰囲気からもわかるように、鎧駅は、牛山隆信氏が主宰されている”秘境駅ランキング”の159位(2018年)にランクインしている”秘境駅”です。鳥取市に行く機会がありましたので、この日、足を延ばして訪ねて来ました。

鳥取駅から城崎温泉行きの普通列車に乗車しました。キハ47系車両の2両編成、ワンマン運転の列車でした。「鎧」という珍しい駅名は、「鎧袖(よろいのそで)と呼ばれる切り立った崖の名前に由来しており、その崖は、武士の鎧の袖に似た縞模様の海食崖(かいしょくがい)」(「海駅図鑑」清水浩史著 河出書房新社刊)だといわれています。

多くの乗客が餘部(あまるべ)駅で下車しました。餘部駅は以前訪ねました(「JR山陰線の”秘境駅”、餘部駅」2017年1月14日の日記)。急に空席が増えた列車は、赤島トンネル(173メートル)を抜けて、次の鎧駅に着きました。途中の浜坂駅での「信号待ち」による10分程度の停車時間を含めて1時間15分ぐらいかかりました。進行方向の右側、駅舎に接した1面1線のホームに降り立ちました。やがて、乗車する人もいないまま、列車は次の香住駅に向かって出発して行きました。

鎧駅は、兵庫県美方郡香美(かみ)町香住(かすみ)区鎧にあります。餘部駅から1.8km、次の香住駅まで5.4kmのところにあります。鎧駅が開業したのは、明治45(1912)年3月1日。 国有鉄道山陰本線の香住駅から浜坂駅間が、延伸開業したときでした。

ホームから見た構内のようすです。かつては2面2線のホームをもつ駅だったようですが、平成24(2012)年に1面1線のホームとなり、海側のレールも撤去されました。正面に見えるのは地下道の出入口です。海側のホームは使用されていませんが、地下道は使用されています。線路の向こうは通ってきた赤島トンネル。右側には海側のホームに上がる地下道の出入口が見えます。鎧駅は、平成13(2001)年冬に、これに近いアングルで「青春18きっぷ」のポスターになったことがありました。そのときのポスターには「なんでだろう、涙がでた」というコピーが添えられていました。

長いホームを餘部駅方面に歩いて、駅舎方面を撮影しました。ホームの右側に貨物側線のあったスペース(2線分)が残っています。その左には、下見板張りの壁のある、漁村に多くみられる民家が3棟並んでいます。

ホームから駅舎に入ります。入口に使用済み切符の回収箱がありましたが、今では、列車の中で精算が完了しますので、ほとんど使われることはないようです。

駅舎に入るとすぐ左側にトイレがありました。手入れの行き届いたきれいなトイレです。”秘境駅”に来て、きれいなトイレに出会えるとうれしくなります。

掲示してあった「鎧自治会」の方からのメッセージです。駅舎の美化にも努めてくださっています。

右側の待合室です。ベンチが置かれていました。

ベンチの間にあった「駅ノート」です。「JR山陰本線 鎧駅 らくがきノート 海の見える駅から」と表紙に書かれています。やはり、海を見下ろす風景に魅せられてやってくる人が多いようです。

待合室にあった時刻表です。平成24(2012)年のダイヤ改正によって、午後の2本の普通列車がこの駅を通過することになりました。鎧駅を訪ねるには、少し不便になりました。

駅舎から、駅前広場に出ました。

左の建物は「鎧区倉庫並自主防災資材庫」でした。駅前には、10件程度のお宅が並んでいました。

海側のホームです。ホームの壁に「停車場中心 187K020M」と書かれているのが見えました。

海側ホームの地下道の出入口から出ました。ホームからレールのある高さに下りる階段がありました。

海側のホームから見た駅舎入口付近です。白を基調にした美しい駅舎が見えました。

海側のホームの裏にあった「天然記念物 釣鐘洞門」の碑です。「西北海上三十町」にあるそうです。昭和5年3月30日の日付が刻まれていました。背景には、遙かな日本海。「海を見下ろす駅として、ドラマ『ふたりっ子』や『砂の器』のロケ地としても使われた」と、駅の待合室にあった掲示には書かれていました。続けて「入江は風よけ地となり、古くから天然の良港として栄えたそうだ」とも・・。そんな風景を眺める人のために、海に向かってベンチも設置されていました。

鎧駅は、海抜39.5mの切り立った崖の上に設置されています。
鎧漁港に下りることにしました。海側の地下道の出入口から延びる通りです。通りの左側にある倉庫風の建物の向こう側を左折して下っていきます。空が黒くなり、雨が降って来そうな天候です。

美しい入江の風景と鎧漁港を見ながら下っていきます。

道はジグザグに折れ曲がっていて、海の方向に歩く区間になりました。

突きあたりで方向転換するところ、その左側に、上に向かって延びる石製の構造物が見えました。昭和26(1951)年に建設されたインクライン(傾斜鉄道)の跡です。この上にレールを敷いて、鎧漁港に水揚げされた海産物を、ケーブルでつながれた台車で運び、鎧駅まで引き上げていたそうです。駅舎にあった掲示物には「最盛期には三日三晩、大漁のサバを積んだ貨物列車が往復していたそうだ」と書かれていました。

これは、京都市に復元されている「蹴上(けあげ)インクラインの台車」です。蹴上インクラインは、蹴上船溜まりと南禅寺船溜まりを結んでいました。勾配のある水路にレールを敷いて船ごと台車に載せて、ケーブルで引き上げていました。鎧駅のインクラインとは方式が異なっていましたが、最も広く知られているインクラインです。

こちらは、海側です。下にある入り江に直角に建てられた建物まで、石製の構造物は続いています。

高い所は雑草に覆われて見えないのですが、建物につながっていたことがわかります。

ジグザグの道を今度は反対方向に向かって下っていきます。正面に墓地がありました。駅舎にあった掲示物には「海の見える墓地は『極道の妻たち』のロケ地になった」と書かれていました。

前に漁船が見えます。鎧漁港に着きました。

浄化センターの建物を過ぎると、先ほど上から見た建物がありました。インクラインの遺構が建物から上に向かって延びており、鎧駅のホームのある高さまで続いていました。

鎧地区の集落です。入江の奥まったところに30軒ほどのお宅が並んでいます。

先ほど左折して下った倉庫風の建物まで、引き返して来ました。地下道の海側の出入口の前です。階段の左側に小さな物置のような建物があります。

これがその建物です。インクラインの終点付近です。このあたりでケーブルを引っぱっていたのではないかと思われます。海産物を降ろして、構内踏切を使って駅舎の脇の貨物側線まで運び、貨車に積み込んでいたのではないでしょうか?

インクラインの終点付近を海側から撮影しました。少し破損されていますが、かつての姿を思い起こすことができます。

この写真は、駅舎の脇の貨物側線があったスペースを撮影したものです。モータリゼーションの発達により、明治45(1912)年の開業時から半世紀を超えて行われて来た貨物輸送も、幕を閉じる時期がやって来ていました、鎧駅での貨物輸送が終わったのは、昭和45(1970)年12月15日のことでした。そして、このときから、鎧駅は、無人駅になってしまいました。


”秘境駅ランキング”の主催者である牛山隆信氏は、鎧駅を、総合13ポイントで秘境駅ランキングの159位(2018年)に位置づけておられます。その内訳は、秘境度1ポイント(P)、雰囲気3P、列車到達難易度5P、外部到達難易度3P、鉄道遺産指数1Pになっています。やはり、列車で訪問するのが難しいということにより、秘境駅にランクインしているようです。美しい海の風景と、地域の人たちの生活の歴史を伝えるインクライン跡に出会える、印象に残る駅でした。
ただ、滞在中に、地元の人たちに出会うことがなかったことが、本当に心残りでした。