トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
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"秘境駅"の木造駅舎がなくなる! JR居組駅

2018年11月07日 | 日記
兵庫県の西北部のJR山陰本線には、牛山隆信氏が主宰する”秘境駅ランキング”にランクインしている駅が4つあります。久谷(くたに)駅と以前訪ねた餘部駅(「JR山陰本線の”秘境駅”、餘部駅」2017年1月14日の日記)、前回訪ねた鎧(よろい)駅、そして、今回訪ねる居組(いぐみ)駅です。10月下旬、「居組駅が老朽化により建て替えられることになり、11月中旬には工事の準備で(駅舎に)覆いがかかることになる」という趣旨の報道がありました。

木造平屋建て、駅前に庭園がある居組駅の駅舎です。 居組駅は、明治44(1911)、国有鉄道山陰本線の浜坂駅と岩美駅間が延伸開業したときに、開業しました。駅舎は、明治44(1911)年に建設され、補修をしながら1世紀以上に渡って働き続けてきました。無くなってしまう前にぜひ見ておきたいと、この日、先に訪ねた鎧駅(「美しい風景とインクライン跡に会える”秘境駅”、JR鎧駅」2018年11月05日の日記)から居組駅に向かって出発しました。

乗車してきたキハ47系車両の2両編成、ワンマン運転の列車は、居組トンネルを抜けて居組駅の1面1線のホームに停車しました。鎧駅から、浜坂駅での「信号待ち」による10分程度の待ち時間を含めて40分程度かかりました。他には乗降客はおられず、列車は、すぐに次の東浜駅に向かって出発して行きました。

列車が去った後の東浜駅方面です。鳥取県境にある陸上(くがみ)トンネル(全長977m)が見えます。居組駅は、居組トンネルと陸上トンネルの間の、周囲を山に囲まれた狭い平地にある駅です。そして、兵庫県の山陰本線の最北西端にある駅になっています。

居組駅は、兵庫県美方郡新温泉町居組にあります。手前の諸寄(もろよせ)駅から4.4km、次の鳥取県東浜駅から3.3kmのところにありました。居組駅は、”秘境駅ランキング”の119位(2018年)にランクインしています。主宰されている牛山隆信氏は、秘境度4ポイント(P)、雰囲気5P、列車到達難易度5P、外部到達難易度3P、鉄道遺産指数2Pの総合19Pと評価されています。特に、「雰囲気5P」とされているとおり、”秘境駅”の雰囲気を強く感じる駅でした。牛山氏は、2000年頃の居組駅について、「周囲に見える人家は3軒に過ぎず、集落から細い車道を600mほど上がったところにある。だが、そんな小駅に似つかわしくない瓦葺屋根の立派な駅舎、交換設備と側線を備えた広い構内、さらに駅前には池をあしらった洒落た純日本風の箱庭が、鉄道全盛期の栄華を物語っていた」というコメントを寄せておられました。

こちらは、陸上トンネル側から見たホームです。線路の右側にスペースがあります。見えにくいのですが、かつては島式ホーム(今も残っています)の両側に線路がある、2面3線のホームになっていました。列車のすれ違いや追い越しのための停車に、また、最寄りの海水浴場に向かう乗客のための臨時列車の停車にも対応していたようです。また、2つのホームは跨線橋でつながっていました。平成20(2008)年、島式ホームと跨線橋が閉鎖され1面1線の運用になりました。そして、平成25(2013)年には、跨線橋も撤去されています。

駅舎に接するホームから見た右側のようすです。草むらの中にレールが残っていました。2線目のホームは撤去されていましたので、島式ホームの右側のレールなのかもしれません。

駅舎よりさらに先に、かつての島式ホームが残っていました。その手前のレールは撤去されています。雑草に覆われているのが残念でした。

駅舎とホームの上屋です。建設から1世紀を超えた建物です。

こちらは、諸寄駅方面のようすです。駅舎に接したホームの脇の引き込み線には、保線工事用車両が停車していました。冬場には、ここを除雪用の車両が使用しているそうです。また、昭和46(1971)年に居組駅での貨物の取扱いが終了するまでは、貨物列車が引き込み線を使用していたそうです。

引き込み線に停車していた保線工事車両です。側面に、”Plassere & Theurer (プラッサー アンド トイラー) ”と書かれていました。オーストリアの保線工事用重機のメーカーが製造した車両です。様々な機能を持つ車両が、世界の100ヶ国以上で使用されているそうです。

駅舎側です。駅舎の手前に、木造駅舎とは不釣り合いな、新しい待合室のような構造物が置かれていました。

駅舎の上屋を支えている一番手前の木製の柱です。

柱の上方に貼ってあった建物財産標です。「旅客上屋2号 明治44年3月」と記されています。

上屋や壁面だけでなく、木製の窓枠が使われた駅舎の窓とその先にある木製の改札口の一部も、往事の姿を伝えています。写真の一番右端に、柱に貼られているプレートが見えます。

貼られていたプレートがこれです。本屋の建物財産標と本屋の屋根管理表です。本屋にも「明治44年3月」と記されています。また、本屋の屋根については、平成13(2001)年に改修されたことが記されています。牛山隆信氏は、明治時代につくられた駅舎について、「一見すると同じような木造駅舎でも、昭和中期までに建てられたものと、明治・大正のそれとは造りが微妙に異なっている。明治時代の駅舎には、神社・仏閣で培った独自の文化と技術を随所に取り入れており、小さな装飾の一つ一つから、職人の意地と頑固さが伝わってくる」という感想を寄せておられます。この駅の長い長い歴史を感じることができました。

木製の改札口から駅舎に入ります。

駅舎内です。かつての駅舎でよく見かけた、つくり付けのベンチがありました。

つくり付けのベンチの反対側です。ベンチと掲示物があります。それ以外には、自動券売機など特別の設備もないシンプルな造りの駅になっていました。ただ、カウンターも残っていましたが、人の手で使い込まれテカテカ光っているものではありませんでした。

駅舎内にあった時刻表です。かつては、多くの地元の人たちが通勤・通学に使っていたようですが、平成24(2012)年3月17日のダイヤ改正からは、一部列車が通過するようになりました。現在は、早朝と12時台に各1本、夜間に2本、計4本の普通列車が居組駅を通過しています。1日平均の乗車人員は、11人(2016年)という状況です。

一番気になっていたのが、この掲示物「お知らせ」です。11月10日から、いよいよ、老朽化対策として、駅舎の建て替えに向けた動きが始まります。駅舎は鉄筋コンクリート造りになり、待合室を備え、ベンチや電子表示板が設置されるようになる予定です。

新しい駅舎が完成するまでは、駅舎の脇に置かれていた構造物が、待合室として使われるようになるそうです。

駅舎から出ます。手書きの駅名標です。これは、今後どうなるのでしょうか? どこかに残してほしいと願っている人も多いのではないでしょうか? 

駅前広場から見た居組駅です。兵庫県の北西端の山深いところという周囲の雰囲気に溶け込んでいるようにも感じます。駅舎前の両側に設けられている庭園の緑が印象的です。中には小さな池や石灯籠も(今は、水はなく、石灯籠も破損していましたが)、つくられていました。また、樹木の手入れも丁寧になされていました。
地元の人たちの要望によって、駅舎が建て替えられても、この庭園は残されることになっています。

駅前はさほど広くはないのですが、かつて、貨物用の倉庫が置かれていたのか、引き込み線の脇には広い更地が残っています。駅舎の建て替えのときに、幅広く利用されることでしょう。

駅舎に向かうただ一つの道路から、駅舎方面を撮影しました。麓の集落から坂道を上がった先に駅舎がありました。この道を反対方向に向かってまっすぐ進むと、居組漁港に行くことができます。なお、珍しい「居組」という駅名(地名)については、駅舎内の掲示物には、「『入り組んだ土地』が地名の由来ともいわれ」、少し離れた海岸沿いの「集落に入ると、民家が所狭しと軒を連ね」ていると書かれていました。

駅舎の右側の白い建物の右側のスペースには、かつて、トイレの設備がある建物がありました。今は、駅舎にトイレは設置されていませんでした。

「1世紀を超えて、多くの乗客に親しまれてきた居組駅舎が建て替えられる」というニュースを見て、その姿を見ようとやってきました。 ”秘境駅”のイメージ通りの駅であったことが、とてもうれしいことでした。
牛山氏のご指摘のように、職人の意地や技術が込められている明治時代の駅舎には、一日でも長く現役でいてほしいと、改めて思った旅でした。
長い期間、この地を見守って来た古い駅舎が無くなるのは、地元の人たちにとっても寂しいことだと思います。そんな地元の人たちの思いに応えるような駅をつくってほしいと思っています。どんな駅ができるのか、新しい駅舎が完成したら、また訪ねてみようと思っています。