風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

シンプル

2009年05月07日 | スピリチュアル
ゴールデンウイークも終わりました。
屋外の爽やかな大気を胸一杯に吸い込むには最適の季節です。
というわけで、ぼくも滝にも行き、山にも登りました。

約半年ぶりの滝でしたが、水が冷たく感じ、足が冷たさで痛いままでした。
血液の循環が悪くなっているのでしょう。
滝から出ては入るということ何度か繰り返し、最後には滝の真下で久しぶりに水の感触を味わいました。
やはり滝の爽快感は半端ではありません。

山は手近な数百メートルの低山歩きでしたが、弱った足腰にはちょうどいい感じでした。
尾根筋の木陰で昼寝もしました。
青い空に雲が流れ、時折風が吹き若葉がさわさわと揺れます。
ウグイスが競うように鳴いています。
地球が、大地が生きているということは確かに違いありませんが、その生命の鼓動と一体になるというのがまだまだです。
世界から孤立した自己という自我意識をこの期に及んでまだ手放すことができないでいます。
それでもいいやと手足を思い切り伸ばして、完全無欠の空の下で転寝をしました。

奪い合う世の中はもうとっくに終わっています。
いまのところ前時代の惰性で奪い合うことが有効なように思えないこともないわけですが、尻すぼみの結果になるでしょう。
与え合う時代と言うのは易しいですが、なにを与え合うのかということに関して、人々は自信がもてないという感じです。
秘められた自分の力を信じて、あなたそのものを人と分かち合えばいいと言っても、それも言うは易しです。
自分そのもの、あなたそのものというのを発見し掴み取る作業は、個々人の生きる道程に委ねられています。
人とは何か。
永遠のテーマを解かねばならない時代になったのでしょう。

ここでも何度か言っていると思いますが、本当のことというのはシンプルです。
生きるということもシンプルです。
生きて、チャレンジして、死ぬ、ということです。
何にチャレンジし続けるのかということがとても重要です。
チャレンジがない人生というのは、養鶏場のニワトリや檻の中の狸みたいなものであって、餌を食うだけの生存に過ぎません。
チャレンジを通じて人は成長します。
でも、何のために成長するのでしょうか。
人に与えるものを持つために成長するのだとぼくは思います。

言い方が難しいのですが、人に与える「ために」成長するのではありません。
~のために成長するというのは、成長の邪道のような気がします。
成長が喜びであるから成長するだけのなのですが、その喜びを分かち合いたくなるのが人の幸福の真髄であるような気がします。

花は咲くのが嬉しいから咲き、鳥は飛ぶのが嬉しいから飛び、風は吹くのが嬉しいから吹く。
そしてそれらの喜びが一体となって、地球の喜びとなる。
そんな感じなのだと思いますが、今までの人間の硬く重い自我意識がその調和を乱しに乱してきたのだと思います。

シンプルにチャレンジし、成功しようが失敗しようがシンプルに成長の喜びを味わって、大地とともに笑えばいいだけです。
生きようが死のうが、すべては喜びとともにあれば、言うことなしです。



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