風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

祈り

2005年11月25日 | スピリチュアル
作用・反作用というのがあります。
エネルギーが動く時には、必ずそれに見合う対抗エネルギーが生まれます。
要は、エネルギーが一方向に動いて消えてなくなるということはありえないということです。
エネルギーはその姿を変えて、どこまでも存続します。

よく、人は生かされていると言い方をします。
人間は、一方的に生命エネルギーを与えられて、それを消費しているだけのように見えますが、
エネルギー自体は形を変えて存続するという法則からしますと、
単に摂取したエネルギーを消費しているわけではなく、日々何らかの形でエネルギーを違う形に変換しているわけです。

何かを生産したり、人に奉仕するというのもエネルギー変換のあり方ですが、
いがみ合ったり、愚痴を言ったり、傷つけあったりというのも、やはり生きるうえでのエネルギー変換のあり方なのでしょう。
どちらが生産的で、豊かな結果を生み出すのかは言うまでもありませんが。

で、祈りというのも、本来は双方向的なものだと思うわけです。
一方的に、願望や欲求を訴えても、おそらくそれは一方的であるがゆえに回路が開かれず、
聞き届けられることはないのではないかと思います。

どういうことかというと、願いを掛けるのはいいのですが、その結果は祈る対象である神仏あるいは天に、
お任せするという心掛けが必要なような気がします。
その時に初めて、双方的な回路が開かれるのではないかと。

お任せしきるという心持がないと、神仏が本来的な意味でその人を援助することができないのではないかと思います。
祈る人のほうに、勝手な思い込みやら、見当違いやら、計算違いがあるときに、
その人の祈りをそのまま聞き届けることがいいとは限らないというか、そういう勘違いをして祈る場合のほうが多いのだと思います。

要は、人間の意識のあり方というのは、自分の都合による一面的な方向性をとりがちなのですが、
常に双方向の意識のあり方というのを考えるといいのかなと、ちょっと思ってみたわけです。

すみません、ネタがないのでとりあえず書いてみました(笑)




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