風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

祝福

2008年07月01日 | スピリチュアル
今朝は恒例の月初めのお宮参り。
もう神社とは何か、神様とは何かなどとはまったく考えることもなく、感謝の心を奉納するのみ。

視点が足下に降りてくるにつれて、感謝の気持ちというのが無色透明な抽象的なものから、
色濃いものになっていく感じです。
道端の名もない野草に目をやります。
名もない鳥の鳴き声に耳を傾けます。
大気に漂う季節の香りを胸一杯に吸い込みます。
すべてはそこにあり、そこにあるという祝福で輝いています。

現世というものに絶望しきった人間には、現世的な志を持つことは不可能です。
金も欲しくない。
家族なんか煩わしい。
出世?この腐りきった世界で出世してなんになる。
野垂れ死ぬことこそ本望だ。

でも、現世の裏を一皮捲れば、そこは目くるめく想念の世界が果てしなく広がっています。
現世に生きながら、想念の世界で志を立て、その志の行方を現世で確認する。
複層の世界に生きるということは、そういう離れ業が出来る世界です。

野垂れ死にが裏の世界では野垂れ死にでないことを知っているからこそ、本気で野垂れ死にができるわけです。

現世的な枠組みに縛られることこそ、地獄というのでしょう。
金も酒も性欲も権勢欲も、うたかたの夢であることは誰でも知っていることです。
たまたま思いついたあぶくのようなものです。
あぶくに振り回されることを、地獄とは言うのでしょう。

ここにいるという祝福を味わいましょう。
これ以上の祝福はありえないのですから。




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