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「あなたという存在はあなたが『考えてきたこと』の結果だ」というような言葉が何かの本に書いてありました。
これは最近つくづくそう思います。
10数年前にその本を読んだ時には反感に近いものを感じたのですが、今では頷くほかありません。
反論はもちろんあるでしょう。
今こんな状況にあることを考えたこともないし、望んだこともない、と。
でも、こうなりたい、ああなりたい、あれがあれば、これがあれば、と考えることはたくさんあったでしょう。
「~こうあるべき」とか「~があれば」という条件を常に自分の人生につけようとしてきたのではないでしょうか。
自分の人生に必要な条件を並べ立てると、その条件がいまだ足りないという現実を引き寄せる、ということです。
「(いつか)幸せになりたい」とは思っても「今が幸せだ」とは人はなかなか考えませんし、思わないものです。
「今が幸せだ」と思い考えていれば、幸せな今が引き寄せられます。
これはそのまま受け入れるにはなかなか抵抗があるでしょう。
でも、それが事実なんだと今では思います。
「思う」ということと、その思ったことが現実の姿をとるまでにはタイムラグがあります。
そのタイムラグの間に人は迷います。
いくら思ったところで、しばらくたっても何にもならないじゃないかと「思う」と、どうにもならない現実がまた実現します。
要は、自分が「思う」ことが実現するということを如何に信頼し続けるか、ということになります。
更に、何でもかんでも思ったことが実現するわけでもありません。
自分さえよければよいといった思いを実現しようとするエネルギーはどうやら宇宙には存在していないみたいです。
無理にでもそういった利己的な願望をかなえようとすれば、「魔」のエネルギーを利用する羽目になりそうです。
「魔」のエネルギーを利用すれば、必ずあとから途方もない代償を払うことになります。
自分さえよければよいという擬似的な幸せ感を越える本物の幸せとはなにかというのを、手に掴む必要があります。
これは言葉にすれば色々あるでしょうが、簡単に言えば、心の底から笑える状態ですね。
生きてて良かったと感謝が生まれる状態でもあるでしょう。
これは一人一人が生きていく中で実感として掴み取っていくしかない感覚です。
人は生きていく上でどうしても「他者」と係わります。
「他者」との係わり方を学ぶことという風に言い換えることも出来るでしょう。
「幸せだ」と思えれば、幸せが実現しているし、実現するのでしょう。
このことに関しては、いくら言葉を費やしても、なんというか一人一人の実感の世界のような気がします。
一人一人の実感を得るために、この世で生きるということを選択した、とも言えます。
なんとでも言えるこの世界で、どういう選択をするか。
それを探し当てるために我々は生きているのでしょう。
これは最近つくづくそう思います。
10数年前にその本を読んだ時には反感に近いものを感じたのですが、今では頷くほかありません。
反論はもちろんあるでしょう。
今こんな状況にあることを考えたこともないし、望んだこともない、と。
でも、こうなりたい、ああなりたい、あれがあれば、これがあれば、と考えることはたくさんあったでしょう。
「~こうあるべき」とか「~があれば」という条件を常に自分の人生につけようとしてきたのではないでしょうか。
自分の人生に必要な条件を並べ立てると、その条件がいまだ足りないという現実を引き寄せる、ということです。
「(いつか)幸せになりたい」とは思っても「今が幸せだ」とは人はなかなか考えませんし、思わないものです。
「今が幸せだ」と思い考えていれば、幸せな今が引き寄せられます。
これはそのまま受け入れるにはなかなか抵抗があるでしょう。
でも、それが事実なんだと今では思います。
「思う」ということと、その思ったことが現実の姿をとるまでにはタイムラグがあります。
そのタイムラグの間に人は迷います。
いくら思ったところで、しばらくたっても何にもならないじゃないかと「思う」と、どうにもならない現実がまた実現します。
要は、自分が「思う」ことが実現するということを如何に信頼し続けるか、ということになります。
更に、何でもかんでも思ったことが実現するわけでもありません。
自分さえよければよいといった思いを実現しようとするエネルギーはどうやら宇宙には存在していないみたいです。
無理にでもそういった利己的な願望をかなえようとすれば、「魔」のエネルギーを利用する羽目になりそうです。
「魔」のエネルギーを利用すれば、必ずあとから途方もない代償を払うことになります。
自分さえよければよいという擬似的な幸せ感を越える本物の幸せとはなにかというのを、手に掴む必要があります。
これは言葉にすれば色々あるでしょうが、簡単に言えば、心の底から笑える状態ですね。
生きてて良かったと感謝が生まれる状態でもあるでしょう。
これは一人一人が生きていく中で実感として掴み取っていくしかない感覚です。
人は生きていく上でどうしても「他者」と係わります。
「他者」との係わり方を学ぶことという風に言い換えることも出来るでしょう。
「幸せだ」と思えれば、幸せが実現しているし、実現するのでしょう。
このことに関しては、いくら言葉を費やしても、なんというか一人一人の実感の世界のような気がします。
一人一人の実感を得るために、この世で生きるということを選択した、とも言えます。
なんとでも言えるこの世界で、どういう選択をするか。
それを探し当てるために我々は生きているのでしょう。
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